2016年08月24日

安岡正篤(やすおかまさひろ)「活学一日一言}

   8月24日(水)  機



 機は何にでもある。禅に禅機、商売に商機、政治には政機がある。この政機を知ら
ぬと、のんべんだらりとした情けない政治になって、不信を抱き、丁度この頃の政治
のようなものになってしまう。



        情味を物質に求めない



 真に活きがいのある人生に活きようには、何としても、我々は、自分の人生生活の
中の情味というものを味わうということを心がけるべきである。否、厳格にいえば、
この心がけを欠如した人の人生は、いかに地位ができようと、また仮に富を作り得た
としても、しょせんは、無意義で、空虚で、荒寥たるものになる。

 多くの人の特にいけないことは、生活の中の情味ということを、物質方面にのみ求
めることである。生活の中の情味というものを味わうというのは、心の問題なので、
物質の問題ではないのである。
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2016年08月23日

安岡正篤「活学一日一言」

   8月23日(火)  処暑  胆力



 吾々はいくら智慧があっても、学問があっても、個人と個人との日常生活の細やか
な問題の決定一つつつかぬことが多い。偉い学者と言われる人がつまらぬ一瑣事に捉
われるということは、つまり知識と見識が違うからで、従って見識というものは一つ
の決断力であり、これは人生においては直ちに行為となって現れなければならぬ。決
断は同時に行でなければならぬ。ところが見識が実践に入るには又ここに一つ勇気が
要る。この実践的勇気を称して、古来最も民衆的な言葉でいうと、「胆力」と申しま
す。
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2016年08月22日

安岡正篤「活学一日一言」

   8月22日(月)  人物の第一条件



 人物たることの第一の条件は理想を持つことであって、理想を持つとその理想に照
らして現実に対する反省批判というものが起こってくる。即ち「見識」というものが
生ずるのであります。元気と理想と見識、この見識は「知識」とは違う、知識を獲得
することは簡単で、神経衰弱青年でも得られるが、「見識」は性命より生ずる理想を
追求して初めて得られるもの、理想に照らして現実の複雑な経験を断定するものであ
る。知識などとは比較にならぬものである。人生に大事なものは知識より見識であり
ます。
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