2016年01月13日

「原因」と「結果」の法則(3)困難を超えて

   1月13日(水)



 理性という言葉は、広義に解釈すると、《真理》そのものを意味するものだとさえ
いえそうです。トレンチ大司教は、あの素晴らしいエッセー『言葉の研究に関して』
(原題:On the Study of Words)のなかで、「『理性』という単語と、聖書に出て
くる『言葉』という単語は、本質的には同じものであり、ギリシャ語では、その双方
に同じ単語があてられている」と書いています。要するに彼は、「神の言葉」とは
「神の理性」にほかならない、と語っているわけです。

 また、老子の「道」もときおり「理性」と訳されることがあります。そして、もし
この翻訳を採用して新約聖書の『ヨハネによる福音書』を中国語にしたならば、それ
は「はじめに道があった」でスタートすることになります。

 柔軟性に欠けた未熟な心は、いかなる言葉にも、極めて狭い適用範囲しか与えてい
ません。しかしながら、私たちが成熟し、知性を広げるにつれ、言葉は私たちにとっ
て、より広い適用範囲と、より豊かな意味をもつものへと変化します。

 言葉に関する愚かな論争は、もうやめにしましょう。そして、理性的な人間として
《真理》を追究し、理解し、実践することで、調和と平和の創造を目指そうではあり
ませんか。
posted by 林田カイロプラクティック院 at 09:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月12日のつぶやき


















































































































posted by 林田カイロプラクティック院 at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 記事転載 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする