2016年08月21日

安岡正篤「活学一日一言」

   8月21日(日)



 昨日で「真理行修誦句集」----瞑想行修用----。は終わったので今日から、安岡正
篤(

やすおかまさひろ)〔明治31年大阪市生まれ。大正11年東京帝国大学法学部政治
学科卒業。昭和2年(財)金鶏学院、同6年日本農士学校を設立、東洋思想の研究と
後進の育成に努める。戦後、昭和24年師友会を設立、政財界のリーダーの啓発・教
化に努め、その精神的支柱となる。その教えは人物学を中心として国民の各層に深い
感化を及ぼし、国民的教育者として今日なお日本の進むべき方向を示している。58
年12月死去。〕氏の『活学一日一言』を書いていくことにする。



    保科 正之

 徳川三代将軍家光の異母弟に、保科正之(ほしなまさゆき)という大名がいた。な
かなかの人物であった。この人が、徳川の重臣、大名である榊原忠次(さかきばらた
だつぐ)とどうも仲が良くない。幕府城内で会っても挨拶さえしない。

 万治元年になって井伊直孝(いいなおたか)が没して、老中筆頭職が空席になっ
た。こうして月日が経つがなかなか後任が決まらない。こんな時、将軍家綱は保科正
之を招き、このことを謀った。すると正之は「この大役を相勤める器量人は、榊原忠
次をおいて他にはないと存じます」と答えた。

 これを聞いて家綱は、かねて二人の間の不和を知っていただけに、あれっと妙な表
情をした。正之はすかさず、「榊原とそれがしの不和は私ごとでございます。公事と
なれば、彼の器量を推挙しないわけにはまいりませぬ」と。
posted by 林田カイロプラクティック院 at 06:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする