2016年09月21日

安岡正篤「活学一日一言」、中村天風「一日一話」。

   9月21日(水)  日本を救うのは誰か A



 今日山口の人々も殆ど忘れ去っているようであるが、たとえば長藩維新回天の事業
の基礎はこの人に在りといわれた村田清風の前後五十余年に亘る善政と、若き人材の
養成や、絶えず思想・政策の研究で同志を結集し指導した周布政之助等の影響力は実
に偉大である。有為な青年と同時に有徳の先輩、これが日本を救うのである。無頼の
青年と怠慢の先輩、是れ日本の禍でなくして何か。



   不偏愛



 「不偏愛」とは何を意味するかというと、率直にいえば何ものをも憎まざる公平無
私の純正なる愛情をもって、人にも物にも、否、ありとあらゆるいっさいに平等に相
接することである。それは繚乱たる陽光と同様に-----

 しかもこの不偏愛の実行ということは、ただ単に唯善践行の秘訣であるばかりでな
く、厳格な意味からいって、真人生の本来の真の面目なのである。

 だから、万一愛の情けに偏りがあるのでは、ほんとうの人といえないのである。
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2016年09月20日

安岡正篤「活学一日一言」、中村天風「一日一話」

   9月20日(火)  日本を救うのは誰か @



 かって、私は萩の松下村塾の前に立って考えた、「天下の大患は人皆その大患たる
所以を知らざるに在り」と看破し、「唯今の勢は-----治世から乱世なしに、直に亡
国になるべし」と断じて、それには「草莽くっきの人を望む外頼みなし」「草莽くっ
き、豈に他人の力を仮らんや-----ただこの六尺の微躯が入用」と覚悟し、それを実
践した松陰や弟子達は実に偉い。然し彼らの維新運動は決して独力でやれたのではな
い。やはりその背後に幾多の先輩老人の苦心助力が積もり積もっている。



   無私無我の生活



 現代のような物質偏重の時代であっても、人生の根本哲理は、自我を本位としない
生活こそ真の人間に与えられた最高至純の合理的なものであるということに、何の変
りもないのである。

 いいかえれば、人間は無私無我の生活を本位として活きてこそ、ほんとうの人間と
しての幸福-----健康と長寿とよき運命-----を求めなくても恵まれるというのが、こ
の世ある限りいささかも変わることのない、人生に賦与されている宇宙真理なのであ
る。
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2016年09月19日

安岡正篤「活学一日一言」、中村天風「一日一話」。

   9月19日(月)  彼岸の入り、敬老の日  青年と老人



 日本今日の混乱頽廃は、青年人材の不振と同時に、先輩老年の不徳による。

 外国かぶれの多くはむやみに革命を主張し、歴史伝統を重んずる我々は常に維新を
期するが、その維新・革命のいずれも青年に限る、先輩老人は有害無用とする者が多
い。これは大きな誤りであり、出来ない相談であり、要するに青年の昂奮か、煽動屋
の阿諛にすぎない。いかにも維新・革命の尖峰は多く青年でなければならないが、青
年をして自由強力にその使命を遂行することが出来るようにする為には、必ず先輩老
人の無私にして賢明大胆な助力を要する。



   いのちの力の使い方



 命の力の使い方-------

 結論からいうと、これはきわめて短い言葉で表現することができる。すなわち、

 「力を入れることに重点を置かずに、力を働かすことに重点を置く」----これであ
る。
posted by 林田カイロプラクティック院 at 05:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする