2016年10月06日

安岡正篤「活学一日一言」、中村天風「一日一話」。

   10月6日(木)  優遊自適



 最初に漢民族が

困ったのは、黄河の氾濫である。つまり黄河の水処理に非常に苦しんだ。だから漢民
族の始まりは、ほとんど黄河の治水の記録と言うていい。

 それでいろいろ水と戦ったのだが、何しろあの何千キロという河ですから、紆余曲
折して、ある所に治水工事をやると、水はとんでもない所へ転じて、思わざる所に大
変な災害を引き起こす。苦情が絶えない。

 そこで長い間、治水に苦しんで到達した結論は、結局「水に抵抗しない」というこ
とであった。水に抵抗するとその反動がどこへ行くやらわからん。水を無抵抗にす
る。すなわち水を自由に遊ばせる。これが結論で、そこで水をゆっくりと、無抵抗の
状態で自ずからに行かしめ、これを「自適」と言うた。

 適と言う字は行くという字。思うままに、つまり無抵抗に行く姿を自適という。抵
抗がないから自然に落ち着いて、ゆったりと自ずからにして行く。これが「優遊自
適」であります。



   疲れたら休め



 人間は変化の中にある。その変化と変転にいちいち関わり合いをつけていたら、い
たずらに心にムダな重荷を負わしていることになる。「疲れたら休め」のとおり、心
も休めてやる必要がある。しかし、肉体は自分の意識で運動をやめることができる
が、心は能動的で何かを考える傾向性を持っているから肉体と違う。

 だから「安定打座法」で無声の境涯に心を入れることが心を休めることになり、心
の旅路のオアシスになる。



   才と徳



 “才”という字は名詞では働き・能力の意だが、副詞だとわずかにという意味にな
る。能力というものは非常に大事なものだが、それだけではわずかなものにすぎな
い。“才”の大事さを充分に知りつつ、わずかにと訓(よ)ませることは大変なこと
だ。昔の人の識見の高さをみることができる。
posted by 林田カイロプラクティック院 at 08:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする