2016年10月09日

安岡正篤「活学一日一言」、中村天風「一日一話」。

   10月9日(日)  活きた注釈



 古典は決して単なる古典ではなくて、現代の活きた注釈になる。現代において古典
の出版や研究が盛んに行われておるのも、所以はそこにあるわけです。しかし或る程
度の教養がないと、それをこなすことが難しい、本当の解釈がつかない。



   人あっての自分





 もしも、いささかたりとも、報奨を本位とするがごとき、凡俗同様の卑しむべき心
持が発生したなら、そのときは「箱根山 駕籠に乗る人担(かつ)ぐひと そのまた
草鞋を作る人」という古諺(こげん)を思い出すがよい。さすれば、この世の中に活
きるのは、いかに偉くなっても、自分一人で生きられるべきものではなく、人あって
の自分、自分あっての人ということが、即座に直感され、その直感が良心に感応すれ
ば、報償を超越した責務感となり、さらに当然の帰結で、その責務感がまごころと
なって発露する。



   内発の力 @



 思想とか信念とか信仰というものは他から与えられたものでは駄目で、個人の魂、
個人の人格を通じて発してくるものでなければならない。どんな立派な理論信仰で
も、それが自分の中を通じてこなければ、決して生きた力にはならない。かの日蓮と
いう人が出れば、日蓮を通じて法華経は新しく活かされ、あのような新宗教になる。
しかし法華経というものは新しいものでも何でもない。
posted by 林田カイロプラクティック院 at 06:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする