2016年10月16日

安岡正篤「活学一日一言」、中村天風「一日一話」。

   10月16日(日)  人物研究と小人奸物 A



 英雄哲人に限らず、世人が見て以て小人とし、奸物と罵り、凡愚と貶(おと)し、
紆拙(うせつ)と嗤う者の裡(うち)に、幾多の考うべき問題は横たわっている。



   悪魔のいたずら



 心本来の姿は、八面玲瓏、磨ける鏡のごとき清いものだ。その清い心にいろいろ汚
いものを思わせたり、考えさせるのは、それは心本来が思ってるんじゃない。悪魔が
陰でいたずらしてるんだ。それに気づいて、その思い方、考え方を打ち切りさえすれ
ば、もう悪魔はそのまま姿をひそめるわけだ。

 「怒らず、恐れず、悲しまず」こそ正真正銘の心の世界なんだ。静かに自分自身考
えなさい。何かで怒ってやしないか。何か恐れていやしないか。それとも何事かで悲
しんでいやしないか。



   さむらい



 「さむらい」とは、より偉大なるものへの敬侍(けいじ)である。この偉大なるも
のに敬侍し、没我になって生きるところに、功利の世界、物質の世界から、忽然とし
て道徳の世界、精神の生活に転生することが出来る。

 このゆえに武士は常に如何に生くべきかといわんより、如何に死すべきかの工夫に
生きた。五十年の徒なる生活を犠牲にしても、尊い感激のある一瞬を欲した。この身
命を喜んで擲(なげう)ちたい事業、この人の為に死なんと思う知己の君、渾身の熱
血を高鳴りせしむべき好敵手、これ等を武士は欲した。

 この躍躍(やくやく)たる理想精神は凝って所謂武士気質なるものとなり、頑固と
まで考えられる信念、極端とまで驚かれる修練となったのである。
posted by 林田カイロプラクティック院 at 06:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする