2016年11月27日

安岡正篤「活学一日一言」、中村天風「一日一話」。

   11月27日(日)  五 医



一、小欲医惑=欲を少なくして惑(まどい)を医(いや)す

二、静座医躁=静座して躁(がさつさ)をいやす

三、省事医忙=事を省いて忙をいやす

四、択友医迂=友をえらんで迂(う)、にぶさ、をいやす

五、読書医俗=書を読んで俗をいやす



精神統一



 意志の力の発現に対し、どういう手段が合理的かというと、「常住精神状態を積極
的に把持し、必ず統一してこれを使用する」ということである。精神が不統一で雑
念、妄念、錯然たる場合には、意志は完全に精神領域に顕現してこない。すなわち、
意志集中が現実化されない。

 要するに意志は精神領域が整然としている場合にだけ、その本来の絶対性を働きか
け集中するものなのである。精神統一こそ意志発現を習性づける合理的手段である。
posted by 林田カイロプラクティック院 at 07:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月26日

安岡正篤「活学一日一言」、中村天風「一日一話」。

   11月26日(土)  海舟のように



 暑いからと言って冷房、寒いからと言って暖房、食い過ぎたと言っては消化剤、こ
ういう調子でやっておると、人間の身体は鍛えられることがない。

 生命というものは、生命のつくる肉体というものは、やはり鍛えていじめなけれ
ば、徒長した麦と同様ふらふらと伸びてしまって、それこそ他愛もないものになって
しまう。肉体的にも精神的にも、左様にして文明はいつも滅びる。

 だからわれわれも先ず海舟(勝海舟)の様に鍛えなければいけない。貧乏しても,
感激を生ずるだけのエネルギー・精神力を持たなければいけない。

 困難ここに到って神経衰弱を生ずるようではどうにもなりません。



   我とは何ぞや



 人々は、落ちついて「我とは何ぞや」ということを考えない。その理由は「我」と
いうものの本質を自覚していないからである。

 「我とは何ぞや」ということを正しく理解していないと、人生観が正当に確立され
ない。人生観が、確立されないと、自己統御が完全にできない。それが正しく理解さ
れた時、初めて確固不抜の人生観が確立され、その確立された人生観が、内的誘導力
となって、自己を完全に統御し得るに至るのである。



   敏の本義



 自分の人生を美しくするために、仕事のために、友人のために、世の中のために、
できるだけ気をつけよう、役に立とう、まめにつくそうと心身を働かすことが敏の本
義である。ひらたくいえば、いつも怠りをしないでいつもきびきびしている。その代
わり世間のくだらんことにはずいぶんと怠けてもよろしい。
posted by 林田カイロプラクティック院 at 05:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月25日

安岡正篤「活学一日一言」、中村天風「一日一話」。

   11月25日(金)  悟りとあきらめ



 内容の有無、高低、深浅の差はあるが、五十の頃は知命の時候である。聖人に於い
ては悟りと云い、常人に於いてはあきらめと為す。



   人間だけが進歩する



 太古から脈々と、人間が心に思うことや、考えること、「ああなったらいいな、こ
うなったらいいな」ということが理想化されて、それが一つひとつ現実化されてき
て、今この世の中がつくり出されてきたんだ。
posted by 林田カイロプラクティック院 at 05:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする