2016年11月24日

安岡正篤「活学一日一言」、中村天風「一日一話」。

   11月24日(木)  参 る



 日本語の「参る」という語は実に興味深い語であります。例えば男女関係において
愛するという場合、英語では“I LOVE YOU”というのに対して、日本語で
は“俺は彼女に参った”と表現します。参ったというのは、単に好きだとか、愛する
だとか、いうのとは意味が違います。これは相手を敬の対象として、己の理想像とし
て礼讃するのです。言い換えればこの語は、人間的尊さ・精神的偉大さを認識した語
であります。したがって、俗にいわゆる“I LOVE YOU”に比べると、この
語ははるかに発達した語であるといえます。



   生活の情味はどこにある



 特に知っておきたいことは、生活の情味というのは、楽しい事柄の中にのみあるの
ではなく、またさりとて金や物質の豊かな時にのみあるのではない。悲しいことの中
にも、また悲しい事柄の中にもある。況や人間世界の階級差別に何ら関係はないので
ある。

 否、むしろ富貴や地位に活きるものは、生活の情味を、そうしたものの中から獲得
しようとするために、真の味わいを味わい難い。したがって真の幸福というものを味
了することも容易でない。



   運を高める



 人間は深い精神生活を持たなければ、本当の意味の形相・色相は養われない。結
局、運というものは相に現れ、相がよくなれば運もよくなる。しかし運をよくしよう
と思えば、結局、心を養わなければならない。心を養うということは学問をすること
で、したがって、本当の学問をすれば人相もよくなり、運もよくなる。すべてがよく
なる。運も相も結局は学問にほかならないのである。学問・修養すれば自ずからよく
なる。そこで昔から本当の学者聖賢は、相や運の大事なことは知っておるけれども、
敢てそれを説かなかった。
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2016年11月23日

安岡正篤「活学一日一言」、中村天風「一日一話」。

   11月23日(水)  勤労感謝の日(新嘗祭)  求めるとぶつかる



 書物でも、何か真剣に研究を始めて本屋へ入ると、それに関連する文献は必ず目に
入る。不思議に、それこそ本に霊があるかのように、待ってましたといわんばかり
に、ふいっと目に入る。これは本屋漁(あさ)りする人は皆経験することだ。

 ところが、こちらが何の問題意識もなしに、つまり空空漠々で本屋に行っても、く
だらない駄本しか目につかない。それと同じように、人間も真剣に求めていると必ず
求める人物にぶつかるものです。生きた人物にもぶつかるし、故人にもぶつかる。



   蟹は甲羅に似せて穴を掘る



 昔の諺に「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」というのがあります。この言葉はまさに人
間に与えられた大きな戒めなんです。出世する人、成功する人は、その心の内容がき
わめて積極的なんです。
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2016年11月22日

安岡正篤「活学一日一言」、中村天風「一日一話」。

   11月22日(火)  宗教の目的



 宗教というものは、俗世間を浄(きよ)めて、民衆を正しい道に導く、即ち教化す
べきものである。だから自ずから俗世間と離れておらなければいけない。それを民衆
と同じ世界へはいってきて、そうして民衆と同じように利益だとか、名誉だとか、権
力・支配というようなものを要求するようになると、これは民衆と同列になって争う
ことになるわけで、そうなると必ずその教団は堕落する。



   血液の洗濯を行うには



 なぜ多量の空気を人間は必要とするのかというと、自分の血液を完全に浄化させる
ために必要だからである。わかりやすく言えば、血液の洗濯を肺臓が行う時の洗剤と
して必要なのである。いかに肺臓が強健であっても、空気がなければ完全に血液を浄
化することは不可能である。

 だから、空気を合理的に自分の生命に活用するには、まず第一に、チャンスがある
たびに、清浄な空気に親しむという心がけを実行することである。
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