2016年12月31日

安岡正篤「活学一日一言」、中村天風「一日一話」。

   12月31日(土)  大晦日  誇るべき日本



 我々は日本の将来が日本国民の無数の無名の家庭に在ること、それらの家庭がいか
なる精神風儀教養を持つかに依って日本の運命と価値とを知るに足ることを信じ、子
孫が今日を回顧する時、ひそかに感謝と敬慕の念を禁じ得ぬ祖先でありたいものであ
ります。



   尊き人生の要諦とは



 金殿玉楼の中にあって暖衣飽食、なおかつ何らの感謝も感激もなく、ただあるもの
は不平と不満だけという憐れな人生に比較して、まことや、人生のいっさいを感謝に
振り替え、感激に置き換えて活きられるならば、截然としてそこにあるものは、高貴
な価値の尊い人生ではないでしょうか!

 否、こうした心がけの現実実行こそ、活きる刹那刹那に、なんとも形容のできない
微妙な感興おのずから心の中に生じ来たり、どんなときにも生活の情味というものが
当然味わわれることになる。



   萬燈行



 内外の状況を深思しましょう。

 このままで往けば、日本は自滅するほかはありません。

 我々はこれをどうすることも出来ないのでしょうか。

 我々が何もしなければ、誰がどうしてくれましょうか。

 我々が何とかするほか無いのです。

 我々は日本を易(か)えることが出来ます。

 暗黒を嘆くより、一燈を付けましょう。

 我々はまず我々の周囲の暗を照らす一燈になりましょう。

 手のとどく限り、至る所に燈明を供えましょう。

 一人一燈なれば、萬人萬燈です。

 日本はたちまち明るくなりましょう。

 これ我々の萬燈行であります。

 互いに真剣にこの世直し行を励もうではありませんか。
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2016年12月30日

安岡正篤「活学一日一言」、中村天風「一日一話」。

   12月30日(金)  我々の信条



 一、我々は深き伝統的根柢に立って、堅実にして日新の成長繁栄を期する。

 二、我々は悪を除くには急進的で、善に対しては保守的でなければならぬ。

 三、我々は我々の本業を通じて徳義の世界を実現せねばならぬ。

 四、物質と経済とは、いかに必要であっても、決して第一義ではない。高い精神と
美し

   い感情とが一切を解決する。

 五、国家の繁栄と偉大とは、その領土や資源や生産よりも、その能力・精神・風俗
に依

   ることを信ずる。

 六、我々は世界の平和・人類の幸福を念願する。それゆえに我々は益々日本民族の
徳と

   力とを反省し培養することを念願する。

 七、思想は常に生の進歩でなければならぬ。生の最高の姿は正義である。正義の為


   死ぬことも生の不滅である。



   時きたらば着く



 たとえば、これからある所に行こうとする時に、まだ着かない、まだ着かないとい
う気持ちで歩いている時と、悠々として、時きたらば着くという気持ちで歩いている
時と、同じ歩いている場合でも、その歩くことに対する人間の気持ちの中に、天地の
相違があるだろう。

 だから、理想はよしんばその理想とするところに到着しなくても、たえずその理想
へ意志するという気持ちを変えないことが、人生を尊く生かすことなんだ。



   大器晩成



 大器晩成という言葉があるが、人は自然が晩成した大器だ。(高等動物の中で)一
番後で作ることに成功した。まあ、大器といってよい。まさに大器晩成で、大自然と
いう偉大な創造者が何十億年もかかってやっと作ったもの。だから、自然の法則は人
間においても同じく、人間は、早成する、早く物になるというほど危ないことはな
い。

 人間もなるべく晩成がよい。まあ、死ぬ頃なんとか物になるというくらいの覚悟で
ぼつぼつやるがよい。
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2016年12月29日

安岡正篤「活学一日一言」、中村天風「一日一話」。

   12月29日(木)  目覚めよ、日本人



 日本人は今日でも世界的には尚平和の民であり、甘くて、野暮で、自惚れている。
然し日本の眼前に並立している相手は恐ろしい脅威的存在であり、指導者は活眼と胆
識を要するということを、果たして日本人はどれだけ知っておるであろうか。



   人間らしい活き方



 そもそも、人間の人間らしい活き方とは、多く言うまでもなく心身の統一である。
すなわち心という○と肉体という○とが、相結ばって○○となった活き方である。



   大器量人



 器量は多くの人間を包容できることだが、これもただできるだけではダメで、それ
をちゃんと是非善悪を見分けて使いこなしてはじめて本当の器量と言えるので、それ
のできる人を大器量人というわけである。
posted by 林田カイロプラクティック院 at 05:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする