2016年12月28日

安岡正篤「活学一日一言」、中村天風「一日一話」。

   12月28日(水)  現代の危機



 学問というものは確かに大変な進歩を遂げてきた。しかし大事なことはなにが本質
でなにが枝葉末節かの価値の弁別、目のつけどころで、これがしっかりできるように
なると、今日の文明の混乱は救われる。それを本当に悟って、教えてやるのが師であ
ります。師の前には父というものがある。人間の教育はまず父から始まって、師と友
に至る。ところが現近代、特に現代に及んで、父らしい父というものがなくなってき
た。それとともに、師と友というのもまたなくなっている。そこに、現代人間の最も
恐るべき欠陥というか、危険がある。



   宇宙の心、人間の心



 宇宙という大生命の流れと人間の心が一つになれれば、ここに初めて生命(いの
ち)の本体も本質も分明してきて、当然の帰結としてこの宇宙の心が真善美以外の何
ものでもなく、そして同時に人間の心の本質(本然の姿)もまた、真善美以外の何も
のでもないことがわかってくる。



   お蔭を知る



 本当にわれわれの存在というものは、究明すればするほど種々のお蔭によって在
る。天地のお蔭、国家や社会のお蔭、親や師友のお蔭。この計り知ることの出来ない
お蔭をしみじみと感じとり認識する、これが所謂恩を知るということであります。そ
こではじめて理性や感情を持った人間になるのであります。
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2016年12月27日

安岡正篤「活学一日一言」、中村天風「一日一話」。

   12月27日(火)  人類の義務



 常に、いつまでも自ずから維新してゆくことが、冥々の間に定められた法であり、
真理であります。われわれは単に古い物を読むというのではなく、古人の教えにかん
がみて日々過ちを改めてゆかなければならない。そうして新しい自分、新しい国家・
民族、新しい世界を開いてゆく。これが今日のわれわれ人類に課せられた義務であり
ます。



   心に映像を描け



 およそ人間の心のなかの思念というものが、それはすごい魔力のような力を持って
いるものであるということをもっともっと真実に、確信的に忘れないようにしなきゃ
いけないんだよ。

 絶え間なく映像化される想像という心の作用に良き刺激を与えて、そしてそれをピ
ンボケにしなければ、黙っていても信念の力は強固になって、あらゆるすべてを現実
化する。

 つまり、潜在意識の力を活用する。特に効果のある方法は、絶え間なく心に映像を
描くことなんだ。



   「孝」という字



 人間は進歩しようと思えば、統一がなければならない。教育とは何ぞやと言えば、
つまるところは先輩・後輩と長者・少者の連続・連結の役目をなすものでなければな
らない。

 要するに孝という字は、単に親を大事にして、親に尽くすという意味だけではなく
て、親子・老少、先輩・後輩の連続・統一を表す文字である。そういうことを知って
孝経や論語を読むと、限り無い教訓がその中に含まれておることがよくわかる。
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2016年12月26日

安岡正篤「活学一日一言」、中村天風「一日一話」。

   12月26日(月)  人間の条件



 これがなければ人間は人間でない、というものが本質であって、結局それは徳性と
いうものである。人が人を愛するとか、報いるとか、助けるとか、廉潔であるとか、
勤勉であるとか、いうような徳があって初めて人間である。又その徳性というものが
あって、初めて知能も技能も生きるのであります。



   本当の人間の姿



 正しい真理の上から厳粛に言えば、人間とは、「感情の動物」ではなく、「感情を
統御し得る生物」です。これが本当の人間の姿であります。

 しかるに、この本当の人間の姿だという真理の上から、厳しくあなた方の人生生活
を考えてごらんなさい。感情を統御するどころか、しよっちゅう感情に追い回されて
いないだろうか。



   内 訟



 内訟とは自分の煩悩を自分の良心に訴えることである。
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