2016年12月25日

安岡正篤「活学一日一言」、中村天風「一日一話」。

   12月25日(日)  クリスマス  朕



 天皇というものは、国民の一人一派をあらわすものではない。国民全体、民族の根
本的なるもの、全体的なものを一つの形に表したものである。天皇という一つの存在
に表したものであるから、それで朕(ちん)と自称されるのである。それは国民全体
の、言い換えれば国民統合の象徴というものである。



   期待するから失望する



 「まごころ」で行われる行為には絶対の強さというものがある。「まごころ」とい
う「心」の中には、期待というものがないから、当然失望というものがないからであ
る。失望というものは、ある期待が裏切られたときに発生する相対的心理現象である
がゆえに、報償を行為の対象とすると、当然「期待」というものが付随するから、そ
の報償が、期待どおりでないと、すぐさま失望念が発生し、その行為にいわゆるムラ
がでてくる。したがって当然その強さというものが、ややもすると、失われがちにな
るのである。



   挨 拶



 「好い年をして、挨拶もろくに出来ん」と昔の人はよく言ったが、今日は若い者に
限らず、年寄りまでが一向にその挨拶が出来なくなってしまった。それでいて、やれ
思想がどうの、平和がどうのと偉そうな口をきく。そういうことでは駄目だ。という
のが儒教や禅の根本精神であります。
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2016年12月24日

安岡正篤「活学一日一言」、中村天風「一日一話」。

   12月24日(土)  大宅と小宅



 世界の王室においてひとり姓のないのは日本の皇室だけである。日本の皇室は長い
歴史の間に君民一体になって、いつの間にか姓というものが皇室になくなってしまっ
た。つまり完全に国民に同化してしまった。それは親の数から勘定しても分かる。君
民というのは本当に一家だ。皇室は大宅(おおやけ)で一般国民は小宅(こやけ)で
ある。それで小さい方は数が多いから、ちょうど枝葉になるからしてそれぞれ姓が違
うが、それを結ぶ全体性というものに当る皇室は、私姓、私の姓というものが消滅し
てしまった。こんなことは世界の歴史のどこの国にもない。



   適応作用の活用



 適応作用という特殊な作用が人間の生命に、自然から与えられている。この適応作
用を合理的に積極的に活用すれば、生命の衰退速度を緩和防止することができる。外
界から来る各種の刺激に抵抗する肉体の生命力を強くすることができる。

 しかし、適応作用は消極的習慣にも適応するので、温室作りの花のようにならない
ためにも、肉体生活を積極的に訓練する生活習慣におくべきである。



   誠は天の道 A



 然し我々は次第に天地人間から分隔して(これも実は偉大な創造分化なのである
が)己私に執着して誠に叛き易い。その為に折角の性を傷(そこな)って天と断つの
不明に陥った。

 そこに諸々の悪が蔓(はびこ)る。「唯天下の至誠のみ能く性を尽くす事を為す」
である。
posted by 林田カイロプラクティック院 at 05:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月23日

安岡正篤「活学一日一言」、中村天風「一日一話」。

   12月23日(金) 天皇誕生日  誠は天の道 @



 宇宙人生は天の自ケン的創造である。自己を実現しつつある努力である。

 この絶対自ケンにして、何等他に俟つ所を求めない生々化育の努力を「誠」と謂
う。

 誠は天の道である。誠に由って萬物があり、誠がなければ物もない。人は、此の誠
に由って生き、禽獣と異なって自覚を生じ、誠の誠なる所以を体認して之を発揮する
ようになる。

 これを「誠之」といい、所当然の道とも謂う。



   人生観をコンパスに



 たいていの人が感情や理性の虜になって、貴重な人生の毎日を落ち着きのない、不
安定の状態で生きている。

 熟練した船長が嵐の海上をいささかもあわてることなく、一個のコンパスを使って
大きな船を操縦する。これと同様に、私たちは、確立した人生観をコンパスにして、
外部からおびやかされない自分の一切の内的誘導力として、自己を統御して行ける。
posted by 林田カイロプラクティック院 at 04:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする