2017年01月31日

「叡智のひびき」(中村天風)

   1月31日(火)  天風箴言(二十四)



 油断をすると、いつしか「誓」の言葉を空文にして、活きて居ることがあるから、
十分気をつけねばならない。



(せっかく毎朝「甦りの誦句」や「誓い」の言葉を心を込めて唱誦して、今日一日の
人生を、できるだけ尊く、清く、活きぬこうと心がけていたのに 、ひょいと気づい
てみると、いつしか消極的の感情のとりことなり、あるいは怒り、あるいは悲しみ、
あるいは怖れまたは憎む、悩むという気持ちになっている自分を発見するというよう
なことをです。-----察するに、これはあえて初心の人のみでなく、相当教義に順応
して生活しているはずの古参会員の中にも、この遺憾なことを往々経験されておられ
ることと思う。これはそもそもいったいどういう理由なのか?というに、それはこの
箴言の冒頭にある「油断」ということが、その主な原因なのである。

 要は万一「誓い」の言葉を空文にしたような場合には、後悔することよりは、もっ
ともっと実践躬行に努力するよう、われとわが心に一鞭当てよである。それがこの箴
言の終わりの「十分気をつけねばならない」という言葉に該当する。)
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2017年01月28日

例示のため送る

  1月28日(土)  天風箴言(二十四)
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2017年01月11日

「叡智のひびき」(中村天風)

   1月11日(水)  鏡開き  天風箴言(十一)



 他人の言行を常に心の鏡として他人に対処するならそれで立派な交人態度が決定さ
れる。



(「いかなる場合にも、他人の心を消極的にするがごとき言行は、絶対になすべきで
ない-----特に病に犯されている人や、運命に悩まされている人は、よほど修養ので
きている人でない限り、おおむねはその心が極度に消極的になっているのが普通の傾
向であるから、その種の人々には、一段とその心を積極化するためへの努力を、真実
の人類愛をもって働きかけてやらねばならない。そしてこの目的を達成するために
は、特にその人々の心に、その病や運命を克服するような勇気をつけてやることであ
る-----」と。そして、病や運命を克服するような勇気を心につけてやる最良な手段
は「何をおいても、自分の言行をどんな場合にも鼓舞的で、奨励的であるよう心がけ
ねばならない」ということも、特に入念に説述しているゆえに、諸子の記憶の中に、
明瞭に確保されていることと信ずるが、事実に徴してみると、人生真理というものに
無関心な人というものは、案外こうした見やすいことがらに正しい自覚を持っていな
い。したがって、健康的にも、また運命的にも、格別たいした支障のない場合にも、
とかくその心が消極的傾向で生活していつがために、一朝、健康や運命に、少しでも
良くない事実が発生すると、何をおいても、先ず心を極度に消極的にして、一切に対
して神経過敏の心でこれに対応する、そしてそうあることが人間としての当然の間
違っていない、むしろ反対にそれがもっとも正しい態度のようにさえ考えるという、
まことにビン然たるミステーク(あやまち)を少しもそうと覚っていない。そして、
なんと、それが現代の人の世の中の、実際のありさまであるといってよい実情なので
ある。「他人の言行を、常に、心の鏡とする」ということは、他人の言行を、子細に
注意深く看察して、それが果たして積極かかつまた消極であるかを検討することなの
である。この心がけを不断に実行に移して行くと、やがて早晩、あえて非常な努力を
なす必要もなく、交人態度に対する所期の目的である病や運命を克服するような勇気
を、他人に現実につけてやり得るがごとき、鼓舞的な奨励的な言行を、自己自身が容
易になし得るようになるのである。 たちむかふ 人のこころは 鏡なり おのが心
を うつしてや見ん  )
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