2017年02月01日

「叡智のひびき」(中村天風)

   2月1日(水)  天風箴言(二十五)



 真善美という事は、人の心の何れに該当するものかというに、真と美とは本心に固
有するもので、善とは良心の能動より発動する情緒である。



(真、善、美という言葉は、洋の東西を問わず、古来より、いずれの宗教でも、それ
を「神」の心意なりといっている。しこうして、そもそも「神」と称せられるもの
は、これを科学的に論定すれば、すなわち「宇宙創造の根本主体=万物能造のブリル
の発生根元素」に対する尊称にほかならない。もちろんこれは諸子のすでに熟知せら
れるところであると信ずる。

 そこで、どういう理由で「神」なるものの心意が真善美なりといわれるのかという
に、哲学的に思料しても、また科学的に考定しても、宇宙創造の根本主体の作為のす
べてが、換言すれば、万物能造のブリルの能動現象(その活動状態とその結果のいっ
さい)がいかなる場合にも、真、善、美そのままで、その以外の何ものでもが他に絶
対にないがためである。この消息はあえて深く考えるまでもなく、自然界も、いっさ
いの事象いっさいの事物の運行現象をみても、そのすべてが、完全ということへの意
図の現れで、少しもそこに破壊のためへの破壊というものがないのを見ても、ただち
に分明する。否、一見破壊らしく見えるものも、子細に検討すれば、そのすべてが完
成への一過程としての破壊でしかないということが合点される。要するに、前にも
いったとおり、古往今来、洋の東西を問わず、いっさいの宗教が、真善美=神の真意
という所因は、実にこの点に存在するのである。

 真とはいわゆる「まこと」のことで「まこと」とはありのままの姿=何の虚飾も偽
りも形容もないそのままの-----すなわち絶対の本然! のことなのである。次に美
とは、わかりやすくいえば、完全調和状態をいうのである。多くいうまでもなく、本
心そのものが、すでに、完全無欠のものなのであるから、それが能動状態になれば、
いっさいに調和=和合=同化を働きかけるのが、これまた必然のことである。それか
ら、善とはそもいかなることかというに、遺憾ながら、現代いろいろの理屈や議論を
口に筆に蝶々する人が多い割合に、善なるものの真意義を正しく理解している人が極
めて少ないようである。善なるものの真意義は、これを哲学的にいうならば、絶対愛
の発露された心意、またはその心意を基盤としてなされる行為! である。)
posted by 林田カイロプラクティック院 at 05:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする