2017年03月22日

「真人生の探求」(中村天風)

   3月22日(水)  放送記念日  緒言 幸福な人生



 人間! それは、一体なんであろう?

 否、人間とは、一体幸福のものであろうか、不幸なものであろうか?

 特に、病や、運命に対して、果たして、強いものであるか、それとも弱いものであ
るのか。

 敢てお尋ねする。諸君は、こうした対人間観をしんみりと静かに考察せられたこと
があるか、どうか。

 私は、いつも現代の世相や、お互い同胞の行動を、この眼で看この耳で聞く度に、
そういう疑問が頻りと湧いてくる。

 尤もこういえば、今日只今の生活苦に直面している自分たちに、そんなことを考え
る余裕があるかという人が相当多いと思う。

 それも、たしかに一面に存在する理屈に違いない。形容の出来ない複雑さと悲惨な
状態という現象事実の中に生活しなければならぬようにされている人々は、到底落ち
ついて、内観的に人間というものを考えて見るなどということは出来ないかも知れな
い。

 また真剣に考えようとしても、余りにも日々の人生に存在する相対的事実が、考え
れば考える程割り切れない疑義のみで、徒に迷うのみだという人もまた少なくないと
思う。

 そうして、そういう人は、人間というものは、どんな境涯に到達しても、活きてい
る間は終始人生苦と取り組んで活きねばならない不幸なものだという考え方で人間と
いうものを観るという断定を、かなり執拗にもっていると思う。
posted by 林田カイロプラクティック院 at 05:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月21日

「真人生の探求」(中村天風)

   3月21日(火)  たたえごと



 その風格磊落活胆、世俗に卓然たる趣がある。人あって大人を評し「敏にして鈍な
り」と言ったと言うが、私をして言わしむれば、「信念の人」「勘の人」と言いた
い。蓋しそれは大人の為人・教養・学識の凡てを通じ、その根底となる所のもの概ね
信念・叡智ならざるを以てである。それかあらぬか、由来百芸に到るものは一芸に達
し得ざる憾なしとしないが、大人に於いては、耳目に触れて「道」に入らざるなきあ
りさまである。本書の刊行に就いては既に要望久しきものがあった。然るに大人の身
辺特に多忙で、今日まで遂にその機を得る遑がなかった。しかし漸く今度出版の運び
となったことは、斯道宣揚のため、大方の君子と共に慶賀に堪えない所である。

 終わりに、本書を手にし給う有縁の有志家に対し、幸あらむことを祈る。

     昭和丁亥の歳佳春       医学博士 竹内大真識 
posted by 林田カイロプラクティック院 at 05:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月20日

「真人生の探求」(中村天風)

   3月20日(月)  春分の日  たたえごと



 我々の生活は瞬時の停滞も許さぬ。それ故、何によらず手近からやってみるに如く
はない。試み試みする所に始めて道は開け、自ら意義は具る。何はともあれ人生のこ
とは、英語に謂うtry try again でやり抜くに限る。しかし「試み試みする」という
ことは、決して安易なことでない。-----下手に洒落めいて恐れ入るが-----「辛い辛
い」ことだとも言えよう。だが然し、子細に観ずれば「辛い」と感ずるのは、物事を
受け身で受ける場合に限り、若し夫れ心構えを積極的に転じ、心勇んで事に就く者に
は油然として建設の喜びを胸臆に感ぜざるはない。

 本書は「人生を如何にして意義あらしむるか」という命題に対し、いとも明快に、
しかも親切丁寧に、且つ又科学的に系統ある回答を与うるものである。誠に本書は、
人生を卑屈に過ごし、陰影裡に低回する人々に対する暗夜の光明とも言うべく、同時
に、光輝ある人生を求め、進んで建設面に勇躍せんとする人々に対する良師であり良
友である。

 著者統一哲人・中村天風大人は周知の如く生死往来の達人として明治伝史中の人物
であるが、発起一念、夙に古インドに伝わるヨガの密行に参じ、その哲理と行果を現
代に活用し、以て独自の学的体系を創造し、半生をその実際指導に任じて今日に及ん
で居る。爾来三十星霜、親しく門を叩いて教えを乞う有名無名の人士、実に十数万に
達する盛観である。

 
posted by 林田カイロプラクティック院 at 05:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする