2017年03月16日

「真理のひびき」(中村天風)

   3月16日(木)  天風箴言(三十一)



 功徳の布施とは 正しい そして 清いよろこびを ひとのこころに 分つことで
ある。  (この箴言の解説はありません)



 あとがき



「心は現在を要す、過ぎたるは追うべからず。来たらざるは迎うべからず」と天風先
生は、常にさとされて居られた。人生とは、今ここに生きて存在する事実に対する名
称である。だから、只今こそ大事なときであり、今いかに生きるかが大問題である。
今をほかにして人生はない。希望に今生きる、精一杯生きる中に真人生への展開がは
じまる。人生は正に心一つの置きどころである。思いかた考え方が積極か消極かに
よってその人の活き方に天地の差を生じる。折角お互い人間としてこの世に生を受け
た以上、人間としての価値を十分に発揮して、世の中全体の調和のためにその職分職
分に応じて生き抜いてこそ生きがいのある人生をわたることとなるのではなかろう
か。人あっての自分、自分あっての人の世の中である。ともに譲り合い、助け合い、
励まし合い、生かし合う世づくりに生々と立ち向かってこそ真の人間であるのだ。

 しかしながら、事のあるのが人生だと言われるとおり、時に気がゆるみ疲れ、よい
考えも出ないようなこともある。又病に冒されたり、不運に遭ったりして右往左往す
ることがある。

 その時である。開かれ見られよ、この箴言の一言一句を! この一言一句は必ずや
あなたの身に染みてあなたを励まし、力づけてくれるに違いない。そこに、いのちの
力の復元があり、新たに甦りくるあなたを発見されることでしょう。

 されば、天風先生の作られた珠玉の一言一句を糧として今日も活力を得て、明日へ
の希望に燃えてともに明るい世の中づくりに励もうではありませんか。今日一日を油
断することなく。     天風会理事  末吉太郎
posted by 林田カイロプラクティック院 at 05:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月15日

「真理のひびき」(中村天風)

   3月15日(水)  天風箴言(三十)



 反省という事は 自己自身を正しく進歩向上せしむる 人生の最良なる要諦であ
る。



(この箴言もまた文字通りきわめて慎重に考えるべき人生問題である。私の教義の中
に、精神生命の生存態度を積極的に堅持するための実際方法の一つとして、積極的観
念の養成法という一項目を設定してある。そしてその第一に内省検討、第二に暗示の
分析ということを論述している。これも要するに「反省」ということと人生との関係
に、決しておろそかにできないものが多々あるがためである。子細に看察すれば直ち
に納得のできることだが、およそ正当にして確実な反省というものがあってこそ、人
生の諸般のことは現実に進歩もし、また向上もするのであり、反省ということなし
に、「訂正」とか「是正」というような大切なことは、望んでもとうてい得られない
のである。ところがこの重要な消息を現代の世の概ね多くの人は、案外気づいていな
いかのような傾向が実際に事実においてある。要言すれば、自己の進歩と向上とを誰
しもが相当熱望していながら、存外ほんとうに進歩と向上を現実になし得ている人が
少ないのはこの反省というゴールデンキーを多分に度外視するか、もしくは蔑ろにし
ているのに起因する。中でも特に思慮の軽率な人は、わずか数回の試みで自分の思う
ような実績なり成果を挙げられないような場合、その欠点なり短所を反省しなければ
ならない場合であるにもかかわらず、全然それを意に介さずに、「自分はダメだ」と
か「自分にこのことは合っていない」とかと、きわめて第二義的な価値のない自己判
定を、いささかも間違っていないとあえて断定して、それを放棄するか断念してしま
う。実際私は、この種類の人をかなり多く見聞している。これは要約すれば、先般
行った修練会の「悟入諦目」(人間の本来の面目)という大切なことを、正しく自覚
していないからである。

 「人間が生まれながら賦与されている可能力なるものは、極端な例は除いて、その
煥発の方法が合理的であれば、正に驚異に値する高度なものを現実に発現するもので
ある」

 であるから、自己の能力を完全に使わないで自己の能力を批判するという軽率を
行ってはならない。「人の本来の面目は創造的なものである。そのゆえに人間が万物
の霊長としていっさいの生物を凌駕して優秀なる能力を、生まれながらに賦与されて
いるのはこれあるがためである。しかも特におろそかに出来ないことは、その賦与量
はいささかも差別のない公平なものである。そしてこれぞまことに侵すことのできな
い宇宙真理なのである。

 自己の現在使用している能力に対する反省が厳格に行われてその「是正」が確実に
施されるなら、いっさいのすべてはことごとく可能に転換され収握されることも、ま
た必然自明のことと感得されると信ずる。)
posted by 林田カイロプラクティック院 at 05:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月13日

「真理のひびき」(中村天風)

   3月14日(火)  天風箴言(二十九)



 心身統一の達成を志すものは 感応性能の積極化ということには 限度がないとい
うことを 忘れてはならない。



(そもそも天風会が五十年来唱道垂示しつつある心身の統一法とは、適者生存の真理
に遵い、心身一如の真事実を現実化し、人生に必枢欠くべからざる健康と運命とを確
保し、再度くり返すことのできないわれわれの人生を真実活きがいのあるものとし
て、その全生涯を如実に有意義にすることを終始一貫その全目的としていることは、
われら天風会の全会員が十分に知り尽くしているところである。そしてその根本原則
として、心と身とを結合する唯一の中枢たる神経系統の生活機能を極めて順調に作用
させることが、その第一の要訣であるということ、しかもこの目的を現実にするに
は、何をおいても精神生命の生存を厳として自然法則に則って処理することがその先
決的要訣であるということ、またさらに精神生命の生存を自然法則に則って処理する
ということは、換言すれば精神生命の本然に即応して、いかなる場合、いかなること
にも、その心的態度をあくまで積極的に堅持していかなければならないということ、
これらは皆さんには敢て贅言を要せざる理解であると信ずる。がしかし、この点まで
の理解がいかほど明快であっても、平素力説するごとく、精神生命固有の感応性能が
まずそのアンバランスを矯正して、確実に作用するように積極的に調整されないと、
せっかくの理解があたら空念仏に終わる憂いがある。

 いざというときに、たとえば図らずも病患に襲われたとか、または運命的不慮ので
きごとに遭遇すると、そもそも何のために真理を理解したのか? と思われるような
人がいる。これはつまり、先に紹介した大切な精神生命固有の感応性能が、いつしか
その積極程度に間隙を招来してアンバランスになったか、または知らず知らずの間に
消極化したからである。すなわち、「悟れたと、思った時が、迷いなり」なのであ
る。人生には、もう完全に理解したとか、あるいは卒業したとかいうことはありえな
いのである。否、断然ありえないのが人生である。否、否、人生とはそんな単純なも
のではないのである。

 「悟入徹底未だし、況や教法の実行に於いてをや」 「人生というものは、なかな
かもって、悟れるものではござらん」

 ふつうの場合、ともすれば忘れられがちな、人生の大消息を思いを新たにしてさら
に心に受け入れ、さらにひとしおの努力に鞭打って、感応性能をいやが上にも正確か
つ鋭敏にして、真実の積極化を現実化し、そして的確に把握することのできる人生の
幸福を、わがものにしていこうではないか。)
posted by 林田カイロプラクティック院 at 06:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする