2017年03月15日

「真理のひびき」(中村天風)

   3月15日(水)  天風箴言(三十)



 反省という事は 自己自身を正しく進歩向上せしむる 人生の最良なる要諦であ
る。



(この箴言もまた文字通りきわめて慎重に考えるべき人生問題である。私の教義の中
に、精神生命の生存態度を積極的に堅持するための実際方法の一つとして、積極的観
念の養成法という一項目を設定してある。そしてその第一に内省検討、第二に暗示の
分析ということを論述している。これも要するに「反省」ということと人生との関係
に、決しておろそかにできないものが多々あるがためである。子細に看察すれば直ち
に納得のできることだが、およそ正当にして確実な反省というものがあってこそ、人
生の諸般のことは現実に進歩もし、また向上もするのであり、反省ということなし
に、「訂正」とか「是正」というような大切なことは、望んでもとうてい得られない
のである。ところがこの重要な消息を現代の世の概ね多くの人は、案外気づいていな
いかのような傾向が実際に事実においてある。要言すれば、自己の進歩と向上とを誰
しもが相当熱望していながら、存外ほんとうに進歩と向上を現実になし得ている人が
少ないのはこの反省というゴールデンキーを多分に度外視するか、もしくは蔑ろにし
ているのに起因する。中でも特に思慮の軽率な人は、わずか数回の試みで自分の思う
ような実績なり成果を挙げられないような場合、その欠点なり短所を反省しなければ
ならない場合であるにもかかわらず、全然それを意に介さずに、「自分はダメだ」と
か「自分にこのことは合っていない」とかと、きわめて第二義的な価値のない自己判
定を、いささかも間違っていないとあえて断定して、それを放棄するか断念してしま
う。実際私は、この種類の人をかなり多く見聞している。これは要約すれば、先般
行った修練会の「悟入諦目」(人間の本来の面目)という大切なことを、正しく自覚
していないからである。

 「人間が生まれながら賦与されている可能力なるものは、極端な例は除いて、その
煥発の方法が合理的であれば、正に驚異に値する高度なものを現実に発現するもので
ある」

 であるから、自己の能力を完全に使わないで自己の能力を批判するという軽率を
行ってはならない。「人の本来の面目は創造的なものである。そのゆえに人間が万物
の霊長としていっさいの生物を凌駕して優秀なる能力を、生まれながらに賦与されて
いるのはこれあるがためである。しかも特におろそかに出来ないことは、その賦与量
はいささかも差別のない公平なものである。そしてこれぞまことに侵すことのできな
い宇宙真理なのである。

 自己の現在使用している能力に対する反省が厳格に行われてその「是正」が確実に
施されるなら、いっさいのすべてはことごとく可能に転換され収握されることも、ま
た必然自明のことと感得されると信ずる。)
posted by 林田カイロプラクティック院 at 05:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする