内在する微妙な力
さて多くの人が概ね多くの場合、正当な人間の価値認識を、往々第二義的な寸法違
いで、行っている。そしてその原因は、普通の場合、普通の人の気づいていない事実
消息があるがためだと前に述べた。然らば、その原因となっている事実消息とは、一
体どんな事柄かというと、人の生命の内奥深くに、潜勢力(Reserved
Power)という微妙にして優秀な特殊な力が何人にも実在しているという、尊厳な大
事実を信念していないからである。実際の話が、この文化の時代に活きる人々が何事
かといわねばならぬ程、大抵の人がこの峻厳侵すべからざる、自己自身の生命の中に
実在する大事実を気づいていない。従って、気づいていない位だから、またそれを人
生に応用行使しようとしない。そして、その当然の帰結として自分の為すこと、思う
ことの総てが、度々いすかの嘴と食い違う。だから、どうしても、この世は儘ならぬ
ことだらけな、寧ろ憂鬱なことの多い世界で、人間というものは常に現象というもの
に引きずり回され、何としてもこれに拮抗することのできない、せんじ詰めれば、全
く憐れな弱いものさなどと、消極的に考えるべく余儀なくされ、特に、病や運命に
は、到底どうすることも出来得ないもののように、軽率にも頭から断定し、然もそう
した考え方が少しも間違いのない正しいもののように思い込む。
然し、これでは事実に於いて、人間なんていうものは、何の価値も無いもののよう
に考えられるのもまた無理からぬ事と思う。然し、ほんとうに現在よりもより良い人
生に活きようと願うなら、こうした考え方は、断然自分の考え方の中から切り捨てな
ければならない。即ち、厳粛な解脱を必要とする。というのは、前にも述べた通り、
人間とは、多くの人々の考えているような力弱い憐れなものではなく、もっともっと
力強い尊厳な存在なのであるからである。