2017年04月15日

「真人生の探求」(中村天風)

   4月15日(土)  潜勢力の発現



 尤も、この考え方が間違いであろうとなかろうと、或はまた独断であろうとなかろ
うと、それは私の少しも介意する処ではなく、只ひたむきに、そうに違いない! と
私は強く確信したのである。というのは、このソクラテスの言葉を前述のように考定
してから、前にもいったとおり、私の人生観に、自分でも驚くような一大変化が起
こったからである。即ち、私の人生に対する考え方が、自分でも驚くほど、量におい
て、質において、その収穫の実果を多分にし、かつ、正確にしたからなのである。平
たくいえば、そう考えてからの私は、先ず人間の本質を研究せずんばあるべからずの
意気に燃え出し、人間とは必ずや現在の自分が日々味わいつつあるような、価値の乏
しい活き方で活きねばならぬような、そんな低劣なものではないに違いないと、切実
に感じたのである。
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2017年04月14日

「真人生の探求」(中村天風)

   4月14日(金)  潜勢力の発現



 処が、その際偶々このソクラテスの言葉が、思い出すともなく心頭に浮かび出し、
同時に在来の学者や識者のこの語に対する解釈をも、想い出した。がその時、私の心
の中に何とはなしに、この語の中に学者や識者の解釈よりは、もっと人生に関する高
いものが含蓄されているのではないかという一種特異な気持ちを感じた。

 そして第一に考えたことは、ソクラテス程の人生に関する非凡な卓見をもった哲人
が、多くの学者や識者の解釈するように、ただ単なる道義的処世訓といったような狭
い意味でこの語を作ったとは、どうしても思われない。これには他にもっともっと深
い意味が含まれているに違いないということであった。

 そこで実際真剣に考えて見た。尤も当時の私は、未だ人生の研究が、広さも深さも
なく、不十分であったから、その考え方も勢い浅薄であったに相違はないが、然し分
相応に、自分の能う限りの努力で一生懸命考えて見た。

 そしてその結果こう考えた。即ちこの語は、学者や識者の多くがいうような、単な
る処世上の教訓や道義上の訓戒を目的として作られたものではなく、勿論それも否定
する必要は毛頭ないけれど、実際はもっと尊い人生消息を喝破したものに相違ない、
即ち「人々よ、人間の本質に目覚めよ!」という、人生自覚の一大示唆を含蓄したも
のなのだと、確信するに至ったのである。
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2017年04月13日

「真人生の探求」(中村天風)

   4月13日(木)  潜勢力の発現



 先哲ソクラテスの言った言葉に、“Know thyself”という有名なものがあるが、こ
の言葉こそ正に、上述の人生消息を喝破した一大箴言だといってよいと思う。

 尤も、この語に対しては、古今の学者や識者の中には、往々これを「己の分を知
り、その分を超ゆる勿れ」という意味として、道義的処世訓のように解釈している人
が相当多い傾向があるが、私は断然これに同意しない。否、もっと第一義的に解釈す
ることが、ソクラテスがこの語を吐いた真意図にかなうと確信する。

 というのは、実の処をいうと、私が昔先ず人生というものを真剣に探求して見よう
と思い立ったその第一の所因は、この語から大きな示唆を吾が心に受けたためだから
である。そして同時に、この語から受けた一大示唆に因って、私の人生に対する自覚
が新しくされ、人生観に非常な大きい変化が起こったという事実があったからであ
る。

 当時の私は、極端な不健康に悩まされ、その上運命も文字通り悲運の境涯に陥って
いた。そこで何とかして、そうした悲惨な人生から救われたいという一心で、少しで
も人生に関係する知識や理論は、実際貪るように研究したのである。勿論、最初の間
はよくあるように自己自身の陥った境涯を極度に悲観し、いくら努力してももがいて
も、健康一つ中々に恢復しないので、結局自分という人間には、こうした人生境涯を
突破切り抜ける力が全く無いのだと、一時は極めて消極的な諦め方で、自分というも
のを、一途に哀れな存在だと思い決めてしまったのであった。
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