2017年04月12日

「真人生の探求」(中村天風)

   4月12日(水)  潜勢力の発現



 真理に因って作られた現象界に、真理に因って生み出され、真理に因って活かされ
ている人間の人生解決は、ただ真理一本だけ、他に何もないのである。

 その真理とはなに?

 曰く「造物主が、人間各自に、自己人生の一切をこれを以て解決し、完全に万物に
霊長たるの資格をこれを以て発揮し、又これを以て宇宙原則に即応する人間の大使命
を遂行せよとの意図を以て、その生命の内奥に、何人にも公平に賦与された潜勢力の
現実発揮」 即ち、これである。

 であればこそ、何を措いても第一に、勢力の実在を信念し、これが現実発現を期成
すべしと、諄(くど)く強調するのである。実際、この自覚を正しく自己の心に促さ
ない限りは、どんな努力を敢行しても、人生の解決は望んでも得られない。

 また更に、自己人生の解決が完全に出来得ないとしたならば、たとえどんなに学問
を研究しても、またどんなに人生苦楽の経験を積んでも、その種の人々の計画や努力
では、ほんとうに世界の協調と平和とを顕現し得るような理想的の民主国家も、民主
社会も、実現できる筈がない。俗にいう船頭多くして船山に登るの結果だけしか来な
い。これは決して机上の推論ではなく、今の世の中の種々相を見れば、事実が雄弁に
これを立証しているではないか。

 だから、国家社会という大きい問題を解決するにも、先ず人間各自が、第一に自己
を正しく解決することが、どんな点から見ても先決問題であるということは、異議な
く肯定されることと信じる。
posted by 林田カイロプラクティック院 at 05:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月11日

「真人生の探求」(中村天風)

   4月11日(火)  天賦の潜勢力



 が然し、これでは折角万物の霊長たる人間として、この世に生まれて来たかいがな
い。生まれがいのない人生、それはまた活きがいのない人生ということになる。多く
いうまでもない、人生に活きる以上はどうしても生まれがいのある、そして活きがい
のある人生に活きなければ、どの点から考えてもうそである。

 然も、それが何としても、人間の力で出来得ない事なら兎に角、人間の生命に現存
する真理に対する正しい判断と理解とを現実に人生に施して、実践,之に伴えば、寧
ろ極めて容易なことだという点を考えれば、一体何の必要があって不甲斐ない人生に
活きるのかということになる。

 言い換えれば、生まれがいのある人生、活きがいのある人生というものは、相対的
には一見不可能のように考えられるが、一度生命内奥の潜勢力を発現せしめ得れば、
それが断然絶対的可能のものであることが分かるのである。

 であるから、現在よりもより良い人生に活きようと望むならば、何を措いても、先
ずこの自覚を厳粛にわが心に促すことが、そもそもの第一歩であり、人生への最大急
務である。

 まこと、峻厳なるかな人生! それは、どんな富の力を以てしても、更に地位や名
誉の力を以てしても、到底完全に解決しない。まして、屁理屈や、空威張りや、間違
いだらけな自己断定や、独りよがりの自惚れを以てしては、なお更のことである。
posted by 林田カイロプラクティック院 at 05:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月10日

「真人生の探求」(中村天風)

   4月10日(月)  天賦の潜勢力



 が然し、大抵の人は、それをそうと気づかないで、自分の生命の力の全部を、毎日
根こそぎ使って活きているかのように思っているのである。そして自分は、これ程ま
でに自分のできる限り、根限りの力を用いて努力しているのにもかかわらず、一向に
よい運命も来ず、健康も完全にならない、だからこうした動かすことの出来ない事実
の上から考えて見ると、自分には結局これ以上の力は無いに違いないと、極めて単純
に相対的の結果現象だけを対象として考査するため、所詮健康とか運命などというも
のは、人間の力ではどうする事も出来ない不可抗力的のものだと決めてしまうという
ように、自分人間というものの力を、至極低く弱く評価することとなるのである。

 そして、もっと健やかに、もっと幸福に活きられる人生を、どうすることも出来な
い世界のように速断し、然もそれが決して間違いだともまた軽率だとも考えないとい
う大きな錯誤に陥ってしまう。

 そのため、その当然の帰結として、二度と生まれてくることの出来ない貴重な人生
を、空しく無価値の状態にして、やれ浮世は苦の娑婆だとか、人生は畢竟苦患の坩堝
だなどといって、人生五十年を、醜い自己欲望と連綿させて、ああもなりたい、こう
もしたいと、あくせくしながら、一向に思うほどどうにもなれず、結局貴重な人生
を、大方は無為に下らなく費やしてしまう者が、相当数に於いて少なくないというの
が、偽りのない実情ではあるまいか。



 
posted by 林田カイロプラクティック院 at 05:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする