2017年05月17日

「真人生の探求」(中村天風)

   5月17日(水)  心身一如



 尤も中には、自分は、決して人間として守るべき法則=道 を没却したり、または
踏み外すようなことは毛頭した覚えはないという人もあろう。然しそういう人に限っ
て、道というものを単に道徳的方面にだけ存在するかのように、極めて狭い意味で考
えて、道とは単に道徳的方面にだけ存在するものでなく、広く人間存在の全般に亘っ
て存在している広義なものだという、道というものの真の消息を正当に理解していな
い。

 然し、そういう人の中にも、もし前に述べた人生建設に根本的に必要とされる六つ
の力のどれかに不足なり不完全を感ずる人があるとしたなら、その人は、取りも直さ
ず、道徳的の道だけを重視して、人間の生命確保に必枢の条件をなすところの、心な
り、肉体なり、そのどちらかの道=法則 を無意識的に没却もしくは踏み外して人生
に活きている人なのである。勿論、人としてこの世に活きる以上、人間として守るべ
き道徳は決してゆるがせに出来ないが、同時に生存確保の道はなお更おろそかにする
ことを許されない。

 実際、このことこそ、自己人生の一切に係わる大問題として真剣に考査すべきこと
なので常に厳格に自己を省察検討しなければならない。

 ただこの場合に於ける自己に対する省察検討は飽くまで厳正公平で、少しでも、自
惚れや、身びいきがあってはならないことは勿論である。

 というのは、多くいうまでもなく、人生とは、飽くまで現実の世界である。即ち自
分が現に活きているという現実が繰り返されている世界である。そして然も、始終、
厳粛な

真理に依って支配されている世界である。従って現実の世界に活きている自分を省察
検討するのに、やせ我慢や、屁理屈や、空威張りや、自惚れで、それを敢て糊塗しよ
うとすることは、何の効果もなく、また一顧の値さえない。

 それ故に、少しでも、自己の体力なり、胆力なり、又は精力、能力或は判断力や断
行力のどれかに、不足不完全を感じたならば、厳格に心及び肉体をそれぞれの法則=
道 に正しく順応して生きることに、飽くまで敬虔であるよう厳かに反省すべきであ
る。即ち、現実の世界のことは、現実の手段以外で解決する手段も方法もないのが、
絶対の真理であるからである。
posted by 林田カイロプラクティック院 at 05:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする