2017年06月30日

「真人生の探求」(中村天風)

   6月30日(金)  健康への要諦





 こうしたたとえ話は、書き出せば殆ど枚挙に遑のない程多数に存在しているので、
こういう私なども中年にして肺患に犯され、然も、専門家の言うGalopp 性という、
極めて進行の早いものに犯されたのである。肉親に医者が多かったが、皆私に再起不
可能の見切りをつけたのであるが、幸いにも、自己啓発に依って精神を強化し得てそ
の難病を克服し、爾来極めて壮健になり得たので、その体験を経とし、更に自己の研
究を緯としたものを心身統一法と名づけ、その宣布に三十有余年間大した衰えも感ぜ
ず、今日に及んでいる。こうした事実は一体、何を物語るものであろうか、否、私が
前節において、よく世人が言う処の「健全な肉体に健全な精神宿る」 という言葉
は、真理ではないとはいわぬが、然しそれは強いて真理という言葉を使用するなら
ば、相対的真理というべきで、決して絶対的真理ではないといったのは、その理由が
実にこの点にあるのである。

 もっと分かり易くいうならば、絶対真理なるものは、今一つ他にあるからである。

 ではそれはどんなことかというに、曰く、「健全な精神が、健全な身体を作る」 
ということである。これこそ洵に、昭として犯すべからざるの絶対真理なのである。
然も、この健全精神=私の提唱する積極精神 というものは、肉体のみを本位とした
方法や手段では、どんな努力を敢行しても、これを完全に作り上げることは断じて不
可能である。

 ただし、この意味は肉体に施す方法を全然不必要だというのではないことを、誤解
されぬよう注意されたい。勿論、心身相関の関係の下に活きている以上、肉体に施す
方法もある程度必要とすることはいうまでもないが、それより以上、精神に直接的に
施す方法の方が先決的に必要であるということを力説しているのである。

 一体、「健全な肉体に、健全な精神宿る」 という思想が、絶対的真理のように普
遍的に思われるようになったのは、十七世紀以後のことらしい。即ち物質文明の擡頭
期頃からのことのようである。然し、由来この言葉の語源を探求して見ると、決して
そうした意味で作られたものでないということが分かる。

 参考のため、今これを下に摘記することにする。

“Orandum est,ut sit mens sana in corpore sano” 
posted by 林田カイロプラクティック院 at 05:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月28日

「真人生の探求」(中村天風)

   6月28日(水)  健康への要諦



 前にもこの点を略述したが、体の強健な人が心までその体のとおり強いというの
は、寧ろ極めて稀な事実で、心の強い人も満更無いでもないが、そういう心の強さ
は、どうも多くの場合、その体の強さに比例した強さで、何かの動機で体の強みを失
うと同時に、その心の強さも失われるという相対的の強さであるのが普通の現象であ
る。

 更にまた事実において、これと全く反対に、体は病弱でも、心の方が遥かに強い人
がある。そして、その強い心で弱い肉体をよく長寿させたという実例も実に多分にあ
る。

 インマニエル・カントが、生まれつき極めて恵まれぬ弱い体の持ち主であったにか
かわらず、その不屈不撓の大精神力で、古稀に達する長寿をした上、死ぬまで幾多の
著述を世の中に公にする努力を中止しなかったという逸話は大抵の人の知る処で、そ
して将にこの世を終わろうとした時「予は、予の心に最大なる感謝を捧げる。予の生
来の病弱体を今日まで活かしてくれたのは、偏に予の心の力である。」 といった言
葉も、余りに有名な言葉として残されている。

 またわが国にも、体は弱かったが心が強いために、よくその病弱に打ち克って長寿
を遂げた人の数が相当に多い。たとえば、平田篤胤、貝原益軒などはその著明な人々
で、聞く処によると、山県元帥も、壮年の頃既に肺を病んで決して頑健な体躯ではな
かったらしいが、八十有余歳までも長寿を保った。そして元帥は平素決して自分の弱
いことを少しも気にかけていなかったとのことである。、
posted by 林田カイロプラクティック院 at 05:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月27日

「真人生の探求」(中村天風)

   6月27日(火)  精神力の強化



 それでは大脳とは何か? というに、要約すれば、精神活動を表現化する一機関な
のである。分かり易くいえば、心の働きを形に表す要具なのである。やや第二義的で
はあるが、丁度それは画家の絵筆と同様のものだといえる。

 絵筆は画家の芸術を表現化する貴重な要具ではあるが、画家そのものではない。こ
れと同様に、大脳は心の微妙な働きを表現する大切な一機関ではあるが、心そのもの
ではない。

 また仮に百歩を譲って、一派の科学的見解をもった人に加担して、心即ち大脳なり
とするとして、更に慎重に考えなければならぬ実際問題は、では大脳は肉体の一部分
であるから、先ず体を強化することを先決するとして、肉体を何らかの手段で強くし
得るとしても、果たしてこれと並行して大脳までも、実際的に強くでき得るかという
ことである。

 また、これも仮に大脳が、体の強さに比例して強くし得るものとしても、当然心ま
で強くなるかということについては、頗る疑いを感じない訳に行かない。というの
は、議論でなく、論より証拠の事実に徴して考査して見ると、一番明瞭に分明する。
posted by 林田カイロプラクティック院 at 05:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする