2017年06月26日

「真人生の探求」(中村天風)

   6月26日(月)  精神力の強化



 即ち、絶対真理を説明したものと、今一方は、こうもあろう? という推定仮説に
科学的理論思索を施して説明したものとの二種類である。前者は、確かに尊敬すべき
偉大な智識であるに相違ない、が然し後者は、ただその説明態度が科学的だというだ
けで、それが果たして絶対的真理であるかどうかは、いわゆる未知数のものである。

 ところが、その未知数圏内のものも、科学的という言葉に重きを置いて、絶対真理
のように思い込むのは、決して学問に対する真摯の態度とはいえない。現にヘッケル
もドリュウスも、この種の状態を「科学的迷妄」 と呼んでいる。

 即ち、科学的という言葉に重きを置いて、科学的といいさえすれば、それを絶対真
理のように早合点して、他に真理を求めようとしない誤りをいったのである。この言
葉こそは、かりにも人生に関することを研究するものには、それが哲学者であれ、宗
教家であれ、更に人生を対象として特に科学をその研究的生命とする医家や、物理学
者や、科学者に対しては、たしかに傾聴反省に値する頂門の一針であろう。

 現に、前述の心に関するいわゆる科学的という考え方も、大いに考査する必要があ
る。というのは、科学的に心というものを見る時、それは大脳だというが、それは形
なき心=精神 というものを形而下の科学で説明するのには、勢い大脳を心と見なし
て論ずるの便法に拠らなければならないので、従って生物学者も公然これを「仮定
説」 といっている。
posted by 林田カイロプラクティック院 at 05:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月25日

「真人生の探求」(中村天風)

   6月25日(日)  精神力の強化



 特にここにこのことをいうのは、とかく現代人は、この大事なことに対する正しい
自覚を持たない傾向があるからである。即ち大抵の人が、心の強化錬成にも、ややと
もすると肉体を本位とし、肉体に何等かの方法を講ずれば、その目的を達し得るもの
のように考える人が、相当多い。

 前節に於いても、その片鱗に触れて置いたが、肉体を中心本位として作り上げた心
というものは、どうしてもその強味が相対的になるからである。

 ところが、この事実を正しく認識していない人は、更にこの誤解にわざわざ科学的
の理論説明を付加して、その誤りをますます深刻にしている人すらある。

 即ち、その種の人は、こう主張するのである。「心」といってもそれは科学的にい
えば、大脳のことではないか、そして大脳というものは、吾人の肉体内に存在するも
のである以上、やはり肉体の一部分である、であるから、これを強化錬成するには、
先ず肉体を本位として、何らかの方法をおこなうべきだと。

 然しこの主張は、ただ一面に存在する理由だけを楯に採った見解なので、寧ろ皮相
的の観察でしかないといわなければならない。

 一体現代人は、特に科学一点張りの理知教養を享けた人は、何かの説明を施す際、
科学的という言葉を用いると、矢庭にこれを何か絶対真理のように早合点するという
傾向が顕著にあるようである。然し静かにこれを考察すると、およそ科学的理論考証
には二つの区別があるはずである。
posted by 林田カイロプラクティック院 at 05:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月24日

「真人生の探求」(中村天風)

   6月24日(土)  精神力の強化



 であるから、大いに批判するもよし、疑うもよしであるから、願わくは先ず実行を
何よりも先にされたい。

 そうすれば、何らかの効果事実が、諸君の自覚領に映じて来るので、そうなれば否
応なく真理を柔順に肯定するに至るのは必然であるからである。

 そこでそれでは「積極精神作成の実際方法」 として、先ずどんな手段と方法とを
行うべきか? というと、結論的にいえば、積極精神=心の強化 ということを現実
にする要訣は、行住坐臥の刹那刹那、その態度を、出来得る限り「明るく」「朗らか
に」「活き活きとした勇ましさ」で人生に活きることである。

 然し、このことは、ただそう思った、悟ったというだけでは、決して徹底するもの
ではない。単にそう思った、考えたというだけで、すぐ様心の態度がそうなり得るの
なら、何の問題もないが、中々そうはうまくいくものではない。或は一時的にはそう
なり得ることもあろうけれども、また何かと消極的の衝動や刺激を心に受けると、い
つの間にか元の木阿弥に立ち返ることが多い。だからただそう思った、考えたという
だけでは、思わないよりいく分は良いというだけのことで、その目的は完全に達成す
るものではない。

 要は、行うに法を以てせずんば能わずである。

 では、その法とは如何? というと、先ず第一に知らなければならないことは、精
神錬成の方法は、飽くまで精神中心主義でないと、よくその目的を達成し得ないとい
う事柄である。

 分かり易くいえば、心のことは、直接心そのものに対する方法を以てしなければな
らないということである。
posted by 林田カイロプラクティック院 at 05:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする