というと、中には、理屈はそうかも知れないが、それも他人のことならともかく、
我が身に降りかかったことを気にかけずにおられるものでないという人もあろう。然
し、およそお互いの人生に、この大切な命に大きい損害を与えてまでも、言い換えれ
ば、命がけで考えねばならぬというような大事件が、そうちょいちょいとあるもので
あろうか。その上に、一日の人生活動に相当に消耗された、エネルギーの不足してい
るであろう精神生命で、完全な論理思索や正当な思考が行われるであろうか。冷静を
欠いて、昂奮した乱調子の心で何で妥当な解決案が作られようか。禅家の教義にも、
心の波立つときや、乱れ騒ぐときは、先ず坐れというのがある。これは要するに、下
手な考え休むに如かずということを、悟らしめようとする一方便といえる。
が何れにしても、人間は一度死んだら二度とこの世に生まれて来ないと知ったら、
もう少し命を真剣に大切にしたらどうであろう! そして真剣に命を大切にしようと
思うなら今生只今この時の生命を、最も力強く活かさなければうそである。精神生命
を消極的事項と組んずほぐれつさせて、何で力強い命が出来上がろう。力強い命は、
積極精神が現実化されないと徹底しない。
しかもそれが到底不可能のことならともかく、科学的にいえば、万有の根源である
自然の力、哲学的にいえば、万物能造神の力と結合し得る睡眠の直前、その結合のス
イッチともいうべき心の態度を、簡単な心がけで持ち直すことに依って、よくその目
的を達成し得ると知ったら、明日とも言わず今夜から直ちに実行すべきである。そし
て、意義正しく命の安息と復活とを現実化するため、この合法的意識統御に依って、
生命の現実向上と力の充実とを味得することこそ、最も聡明な人生態度であるといわ
なければならない。