2017年07月03日

「真人生の探求」(中村天風)

   7月3日(月)  観念要素の更改



 観念要素の更改とはどういうことかというと、先ず第一に理解すべきことは、人間
の心で営まれるいろいろの思考作用は、すべて一切この観念要素というものが、その
組織の根柢を為すということと、更に随時随所その心で営まれる思考作用というもの
が、一々物の声に応ずる様に感応性能に反映するということである。これは積極精神
を作成しようと望む者にとって極めて重大な理解であるから、もっと詳細にかつまた
分かり易く説明することとする。

 さて我々人間は、物心ついてから、三寸息絶えて万事休するその刹那まで、熟睡す
る時以外は、絶えず何事か思い、何事か考えている。何にも思いもせず考えもしない
といういわゆる絶対無意識の時というものは殆どない。もしあったとしても、ほんの
瞬間だといってよい。

 そして、特に注意すべきことは、その思ったり考えたりすることがすべて積極的な
らば、敢て何も言うところはないのであるが、もしもその思うこと考えることが、消
極的である場合は、前に述べた通り、心で行われる思案の一切が、一々最大漏らすこ
となく感応性能に反映する関係上、消極的の思考は直ちに感応性を消極化してしまう
のである。

 そこで、更に慎重に反省しなければならぬことは、お互い現代人が、隋処随時その
心を思わせ考えさせていることは、率直にいえば殆どその九分九厘までは、消極的で
はないのであろうか! ということである。即ち、悲観したり、腹をたてたり、煩悶
したり、恐怖したり、という風に-------だとすると、どんなに、心の強くあること
を祈り、明るく朗らかに活き活きとした勇ましさで、心を把持しようと思っても、到
底その目的の半ばも達成することは出来ない。

 こういうと、そりゃ無理な話だ、誰だって好んで悲観したり、怒ったり、煩悶した
りしたくはない、然し現代の世相やそれに絡まる人の様子はどうか、これが悲観せず
におられるか、煩悶せずにおられるか、まともの神経を持っている以上は、どうし
たって、そうなるのが当然の事だと、言い張る人も相当に多いと信ずる。
posted by 林田カイロプラクティック院 at 06:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする