2018年01月12日

「研心抄」(中村天風)

   1月12日(金)  「我」とは何ぞや?



 然もこの真我=真正の自己、というものは、諸君の生後の無自覚時代の時も、また
その後心の活動が開始されて種々の理解や考察を為し得るようになっても、やはり依
然として同一のものなのである。

 否、厳密に言えば諸君がこの世に生まれ出ずる以前から既に諸君となるべき生命要
素なるものは、厳としてこの宇宙大気の中に実在していたのである。

 実際! この厳粛な一大事実に想到すれば、真我=真正の自己、というものが、明
らかに心や肉体を超越した尊厳な一実在であるということが一層明瞭になりはすまい
か。

 如何に肉体が成長しようとも、又智識や経験が豊富になろうとも、それは単に肉体
や心の変化発達なので、諸君というものの本質には些かの変化は無い筈である。

 これは多く考える要もあるまい。諸君が少年時代に自分というものを考えた意識
と、今日自分というものを考える意識とを、篤と比較対照して考察して見るのが一番
良い。

 すると、直ちに判然する事は、その智識や肉体の発達せる状態は、全く別人の如き
感じはあるが、然し今一歩深く突き進んで自己というものを本質的に考えると、自己
というものは何人とも交換されておらず、、又取り換えられてもいない事に気付くに
違いない。

 即ち、諸君は生まれた刹那から今日に至るまで依然として今なお同一の諸君であ
る。

 ただ変化したと思惟されるものは、心や肉体だけである。

 否、このように子細に正しい吟味を施すと、真我というものは、物質的の肉体でも
なく、又無形の心でもなく、肉体よりも又心よりも遥かに超越せる一実在であるとい
う事が、正格に意識思量せられる。
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2018年01月10日

「研心抄」(中村天風)

   1月10日(水)  「我」とは何ぞや?



 そこで然らば「心」を霊的境地に活かすには、そもそも如何なる順序と手段とを要
するかというに、第一にその基本要項として特に重大に考うべき事は、

 ○人生に対する特定の意識観念を確立する

という事柄なのである。

 然らばその特定の意識観念とは何かというに、先ず「真我」というものが、諸君の
目に見える肉体でなく、その肉体を超越したものであるという信念を作為するため
に、真我と肉体との関係を、恰も肉体とその肉体に着けている衣服との関係と同様の
ものと思量することなのである。

 即ち分かり易くいえば、肉体に衣服を着ているのと同様に、真我は肉体という仮衣
を着けているものであると思量するのである。

 なおもう一つの考え方は、真我は肉体という一つの家屋に、その生命を存続させる
便宜上宿っていて、一般の家屋の如くに肉体を使用しているのであると思量するのも
よい。

 それから次に必要とされる事は、真我が更に目に見えぬ心ではなく、その心をも超
越したものであるという意識観念を確立する事である。

 その為に考えるべきことは、真我というものは、自分自身の存在を、自己意識で自
覚する以前から、厳として実在していたという大きな事実を想到する事である。

 分かり易くいえば、諸君が諸君の真我に付属している心や肉体の存在を意識的に自
覚する以前から、諸君というものが、既に立派に存在していたという事を思量するの
である。

 この考え方が確立すると、真我なるものが心を超越した一実在であるという事が自
然的に判明して来るのである。

 即ち諸君が、各自の心や肉体の存在を自覚しなかった以前から諸君の生命を確保し
ていたものこそ、諸君の真我=自己の本体で、それが取りも直さず真正の自己なので
ある。
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2018年01月09日

「研心抄」(中村天風)

   1月9日(火)  「我」とは何ぞや?



 そして、本能階級者や理性階級者の人々が行うような、僅かな事に失望したり、些
細の事に落胆する事など断然なく、又無益な悲観や煩悶をして、自己の大切な生命の
道具である心や肉体をみだりに破壊するような価値のない事は些かなりとも行わな
い。

 その結果、当然かの人々は一様に如何なる人生事情にも耐え得る様な積極的の心を
有し、その上頑健なる強壮味を肉体に具現して、矍鑠として齢を進め、よく長寿の幸
福を克ち得ている。

 であるから、吾れ人と共に完全人生に活きるために、自己統御を正当に為し得る人
となるのには、その先決問題として、真正の自己=真我、というものを正しく信念し
得る自覚意識を確立するために、恒に心に合理的修練を施して常住霊的境地にその心
を活かすよう心がけねばならない。

 そうすればやがて、自我の本質が、心よりも又肉体よりも超越した、よりもっと尊
い実在的のものであるという事が、意識の中に明瞭に自覚的に把握する事が出来るよ
うになる。

 そしてこの自覚が現実化されるに従い、その人は「われ」なるものに対する信念
が、牢固として確立するので、自己統御も期せずして必然完全となり、そして更に一
層の精神訓練の功を積めば、いわゆる哲人覚者ともいうべき、神人一体の妙域に到達
した人ともなり得る。
posted by 林田カイロプラクティック院 at 04:48| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする