2018年01月14日

「研心抄」(中村天風)

   1月14日(日)  「我」とはなんぞや?



 何れにしても、こういう特定の意識観念で自己を考えるという事が、心を霊的境地
に活かそうとするものに必要な準備課程なので、即ちこの意識観念が先ず確立しない
と、自己の本体(真我)というものに対する理解が勢い曖昧になり、記述したとお
り、完全な自己統御を為そうと思っても為し得ない事となる。

 これに反して、この意識観念が確立されれば、真正の自覚意念が発動する事になる
ので、次第に自己の本体である一実在に対する信念もやがて絶対化して来るに至る。

 然らば、その尊厳な一実在とは一体何であるかというに、曰く

○思想や意識を発生せしめる幽玄な精神作用から更に物質的の肉体それに付随した一
切の機能を作為する本源的中枢で、古来人々の言う「霊魂」即ちこれなのである。

 然し、これもまた先述したとおり、この霊魂というものはいわゆる形も見えず、色
彩も亦認め得ない実在体なのであるから、所詮は正確に心を霊的境地に移さぬ限り正
念自覚は獲得出来ない。それをただ単なる相対考察を基礎とした智識からの理性判断
本位の考え方では、到底意識的にもこれを認識する事は容易でない。

 であるから先ず第一に、自我の本質とは心や肉体を超越した一実在なりと、前述の
ような特定の意識観念で常住考えるべきで、それが心を霊的境地に置いて人生を考え
る準備手段なので、又それがやがて人生に対する自覚悟入の過程要項ともなるのであ
るから、須らく平素人生に活きる際この高級意識の保持を忽せにしない注意こそ肝要
である。
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2018年01月12日

「研心抄」(中村天風)

   1月12日(金)  「我」とは何ぞや?



 然もこの真我=真正の自己、というものは、諸君の生後の無自覚時代の時も、また
その後心の活動が開始されて種々の理解や考察を為し得るようになっても、やはり依
然として同一のものなのである。

 否、厳密に言えば諸君がこの世に生まれ出ずる以前から既に諸君となるべき生命要
素なるものは、厳としてこの宇宙大気の中に実在していたのである。

 実際! この厳粛な一大事実に想到すれば、真我=真正の自己、というものが、明
らかに心や肉体を超越した尊厳な一実在であるということが一層明瞭になりはすまい
か。

 如何に肉体が成長しようとも、又智識や経験が豊富になろうとも、それは単に肉体
や心の変化発達なので、諸君というものの本質には些かの変化は無い筈である。

 これは多く考える要もあるまい。諸君が少年時代に自分というものを考えた意識
と、今日自分というものを考える意識とを、篤と比較対照して考察して見るのが一番
良い。

 すると、直ちに判然する事は、その智識や肉体の発達せる状態は、全く別人の如き
感じはあるが、然し今一歩深く突き進んで自己というものを本質的に考えると、自己
というものは何人とも交換されておらず、、又取り換えられてもいない事に気付くに
違いない。

 即ち、諸君は生まれた刹那から今日に至るまで依然として今なお同一の諸君であ
る。

 ただ変化したと思惟されるものは、心や肉体だけである。

 否、このように子細に正しい吟味を施すと、真我というものは、物質的の肉体でも
なく、又無形の心でもなく、肉体よりも又心よりも遥かに超越せる一実在であるとい
う事が、正格に意識思量せられる。
posted by 林田カイロプラクティック院 at 05:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月10日

「研心抄」(中村天風)

   1月10日(水)  「我」とは何ぞや?



 そこで然らば「心」を霊的境地に活かすには、そもそも如何なる順序と手段とを要
するかというに、第一にその基本要項として特に重大に考うべき事は、

 ○人生に対する特定の意識観念を確立する

という事柄なのである。

 然らばその特定の意識観念とは何かというに、先ず「真我」というものが、諸君の
目に見える肉体でなく、その肉体を超越したものであるという信念を作為するため
に、真我と肉体との関係を、恰も肉体とその肉体に着けている衣服との関係と同様の
ものと思量することなのである。

 即ち分かり易くいえば、肉体に衣服を着ているのと同様に、真我は肉体という仮衣
を着けているものであると思量するのである。

 なおもう一つの考え方は、真我は肉体という一つの家屋に、その生命を存続させる
便宜上宿っていて、一般の家屋の如くに肉体を使用しているのであると思量するのも
よい。

 それから次に必要とされる事は、真我が更に目に見えぬ心ではなく、その心をも超
越したものであるという意識観念を確立する事である。

 その為に考えるべきことは、真我というものは、自分自身の存在を、自己意識で自
覚する以前から、厳として実在していたという大きな事実を想到する事である。

 分かり易くいえば、諸君が諸君の真我に付属している心や肉体の存在を意識的に自
覚する以前から、諸君というものが、既に立派に存在していたという事を思量するの
である。

 この考え方が確立すると、真我なるものが心を超越した一実在であるという事が自
然的に判明して来るのである。

 即ち諸君が、各自の心や肉体の存在を自覚しなかった以前から諸君の生命を確保し
ていたものこそ、諸君の真我=自己の本体で、それが取りも直さず真正の自己なので
ある。
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