2018年01月07日

「研心抄」(中村天風)

   1月7日(日)  七草  「我」とは何ぞや?



 然らばそも「真我」とは何か?

 静かに、そして深く考査を掘り下げて思量してみよう。

 およそ人間の生命の中には、心及び肉体よりも一段超越した、然も厳として存在す
る実在のものが一つある筈である。

 それが、即ち、「真我」なのである。

 そもそもこの実在のものというのは、それがかくの如きものであると、形象や色彩
で示現する事の出来ないもののなので、ただ人々のいわゆる信念的自覚念で思量する
より以外に知るよしもないというものなのである。

 従ってこれあるがために多くの人がともするとその注意をおろそかにするがため
に、「真我」の消息を正確にその意識の中に把握していないのであろう。

 加うるに、この信念的自覚念というものは、ただ単なる理性の力のみでは何として
も獲得する事の不可能のものなので-----勿論、理性の力もある程度までは相当の関
連性を持ってはいるが、由来理性の力というものは、哲学的見地から論評すれば、心
を理性的境地に置いた時に発動するものなので、そして理性の力は恒に批判の上にの
み働く固有作用があるため、この自覚念に最も必要とされる肝心の信念というものが
容易に無条件で発動しないからである。

 そうかといって、無論この自覚念は一般動物と同様にその心が本能的境地に置かれ
てあったのでは、なお更、絶対に発動するべくもない。

 要するに、「われ」なるものの本体たる実在のものを、わが意識の中に完全に把握
思量し得る信念的自覚念というものは、心を霊的境地という特別の境地に置かぬ限り
は決して発動せしめる事が出来ないものなのである。
posted by 林田カイロプラクティック院 at 07:37| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする