2018年01月16日

「研心抄」(中村天風)

   1月16日(火)  「我」とは何ぞや?



 然るに、このような峻厳な消息があるにも拘らず、現代活きる人々を観ると、その
概ねは真我というものに対する意識観念が極めて漠然たるものがあり、その多くは率
直にいえば只単に、寝て起きて食って垂れるという事を、活きている間毎日反覆する
だけで、従ってその心はその肉体生命存続のために使用するもののように考えて、こ
れを形容すれば秩序も系統もなくただ当たるに任せて八方乱切り的に酷使し、そして
物質的の肉体を人間の全部のように誤認して、無自覚裡にその尊い一生を終ろうとい
う、いわゆる動物的方面の生命存在を認めるに過ぎない。

 又少し気の利いた考えをもって居る人でも、ただ心と肉体の位置を置き換えて生命
消息を考えるだけで、それ以上真我とは一切の生命現象を作為する本源的中枢実在で
ある尊厳なる霊魂なりという厳粛な大事実を意識的に自覚している人などは実際滅多
に無いという有様である。

 私が別著「真人生の探求」の記述中にも言及した通り、現代人が人間の生命の奥
に、運命や健康を確保する潜勢力なるものが内在するという偉大な消息を自覚して居
る人の少ないのも、蓋しその理由は又この自我の本質に対する無自覚という事がその
根本主因なのである。

 というのは、その潜勢力なるものこそは、真我である本源的中枢の固有する力の発
露であるがためである。

 ところが自我の本質に対して無自覚であると、「われ」というものの本体である霊
魂という一実在が、生命の一切の本源的中枢であるがために、絶対的ともいうべき偉
大な勢力をもっているものであるという実消息が判然しなくなるのである。
posted by 林田カイロプラクティック院 at 04:57| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする