2018年01月22日

「研心抄」(中村天風)

   1月22日(月)  真我不滅の要諦(生死の正念諦観)



 そこで苟も正当な人生生活を営為するためには、何をおいても先ず真我に則する実
際消息を正確にその心に理解づけねばならない。

 然らば真我に内在する力とはどんなものであるかというに、曰く絶対的不可犯のも
のなのである。

 然るにこれに引きかえて肉体の有する力は、いわゆる相対的のもので、その証拠に
は火や水や大気等には物質的の法則として敵することの出来ない場合が多い。

 然しながら真我というものは、全生命の本源的中枢をなすところの霊魂である。そ
して霊魂とは肉体のような形象を有しない無形の一実在である。故に断じて火にも水
にも、否、一切の何ものにも決して犯されない即ち絶対的不可犯のものである。

 そして絶対的のものには又絶対的の力のあるのは敢て贅言を要しない当然の事であ
る。

 吾人がこの荘厳な消息に対して正しく信念する事を得たならば、凡そ従来その心に
感じていた「恐怖」 という観念の大部分のものは、恰も朝日の前の霧のように消え
去り、かわりに勃勃たる勇気が驚くべき程その心に漲り来たるのは必然である。

 というのは、冷静に考えて見ると直ちに分明する事であるが、人間の心に生ずる恐
怖観念なるものは、その多くは肉体を本位とするために発生するものなのである。

 ところが一旦真我を本位として考える時、それが何ものにも犯されない絶対的のも
のであるだけに、些かの恐怖感も感ぜぬ事になる。

 判り易くいえば、人間がいろいろの事を恐怖するというのは、何かそれが人間の本
能的の事であるかのように思惟する人もあるが、煎じ詰めるとその心の使い方が余り
にも肉体本位に偏帰するためだと言える。
posted by 林田カイロプラクティック院 at 04:24| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする