2018年02月16日

「研心抄」(中村天風)

   2月16日(金)  旧正月  「心」とは何ぞや?



 そして更に心身相関のもたらす当然の帰結として、心が肉体を統御する上に多大な
支障を惹起する事となるのである。畢竟適当に行使すべき生命用具である心や肉体
に、反対に使われるという本末転倒の活き方をする人の多いのは、何れも叙上のよう
な因由関係から招来されたものなので、そうなると人生は心ならずも或は病み或は不
運に陥るという惨めなものになり終わる。

 就中特に深重な注意をもって考慮せねばならぬ事は、肉体生命に属する本能心に対
する統御である。

 というのは多くの場合、人間の心というものは、何等の訓練も啓発も施さず、漫然
とそのまま打ち捨てて置くと、この本能心が精神領域の大部分を占拠して活動するも
のなのである。

 ところがこの本能心というものは、元来肉体生命に付属する心なのであるから、恒
に肉体生命の要求だけを満たすべく然も極めて無遠慮に、その欲するままを振る舞お
うとする。さながら手の付けられない野獣を檻の中から出したように、------そこ
で、これを適宜に統御しないで打ち捨てて置けばそれこそたいへんなので、人間をや
れ病だ、煩悶だ、苦労だ、という悲劇の舞台に遠慮会釈なく引き入れて仕舞う。

 こういうわけで真に恵まれた人生に活きるためには、先ず第一にこの肉体本位にの
み我が儘を振る舞いがちな本能心というものを完全に統御する事である。

 また厳密にいうと本能心さえ完全に統御する事ができるならば、その他の理性心や
霊性心の統御は比較的安易であるといってよい程、この本能心というものは先決的に
厳正な統御を施す必要のある心なので、然も事実に於いてこの心を正確に統御し得る
ものは意志の力以外に絶対に他にないのである。

 極言すれば人生を幸福にするのも又不幸にするのも、煎じ詰めればこの本能心の統
御の良不良という一事に懸っているといってよい位なのである。従ってこうした見地
から出発すれば、この心に対する絶対の統御力を有する意志の力というものこそは、
汎き意味に於いて人を美しく向上させる原動力だといえる。
posted by 林田カイロプラクティック院 at 05:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月14日

「研心抄」(中村天風)

   2月14日(水)  バレンタインデー  「我」とは何ぞや?



 それではどうする事が心を訓練啓発する合理的の方法かというと、それには先ず順
序として、心を生命用具として完全に行使する権能を有するものは一体何か、という
事から知得する必要がある。

 要するに多くの人が、ややともすると使うべき心に反対に使われて、人生に徒に苦
悩を招来するのは、心を使うべき権能を持つものを正確に知得していないからだとい
える。

 ではその最高権能を有するものとは何かというと、曰く「意志」というもの即ちこ
れである。換言すれば、心の操縦は勿論生命一切の統御を完全にする力を有するもの
は、この意志というものより以外に絶対にないのである。

 ところが中には、この意志というものを一般心理学者のいう智、情、意の中の意と
いうものに該当するもののように思惟する人もあるようであるが、そういう考え方で
この意志というものをみるとその本来の価値を悉く冒涜する事となる。

 そもそも意志というものは、これを厳密に査定すれば「真我に実在する固有性能」
なのである。分かりやすくいえば、意志とは真我を表示する方便を行うために真我そ
れ自身に隷属するものなので、従って純精神機能的のものではないのである、ただそ
の表現が精神領域において行われるという関係上往々心の作用の一つのように思惟さ
れるに過ぎない。

 が何れにしても意志というものこそ前述のように心及び生命の一切に対する主宰権
能を持つものなので、従ってこれあるが故に心を完全に統御行使するのには、何を措
いてもこの意志というものを先ず正確に発動せしめないと、よくその所期の目的を達
成する事が不可能に陥るのである。

 多くいうまでもなく、吾人がその心を完全に統御する事が出来ないと、別著「真人
生の探求」の中にも説述したとおり、その心は吾人の人生周囲に纏綿として存在する
各種の消極的暗示事項の同化感化を受けて、精神内容を不純化し、結局は精神使用法
の原則に反する心の使い方をするに至り、その結果精神感応性能=Suggestibilitat
 を消極化し、心の強度を低下するに至る。
posted by 林田カイロプラクティック院 at 04:59| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月12日

「研心抄」(中村天風)

   2月12日(月)  振替休日  「心」とは何ぞや?



 事実に於いて吾人は日に幾人となく種々の人と会合する。しかし注意深く観察する
と、本当に心というものを自己の使命用具として完全に行使して活きているところ
の、いわゆる真人というものに滅多に出会わない事を発見するに相違ない。そしてそ
の大部分は使うべき心に反対に使われ、虐げられた人生にあわれ気息奄々たるを如何
ともする能わずというような人が多い。そしてその種の人に限って人間にいろいろの
ことを考えさせる複雑な心のある事を恨めしく思い、かえって複雑な思考を行えない
犬や猫の方をさも幸福のように思っている人すらある。

 がしかし一旦心の正当な操縦法を弁知すると全くこれと正反対で、常住心の中に生
ずるであろうところの不必要な観念や思想を、何等の困難も苦悩も感じないで適宜に
これを取捨収集し、不思議な程一切を極めて調和した状態で支配統御できるようにな
る。

 即ちこれをたとえれば、それは丁度強大な馬力を持つ鋼鉄艦が静清と海波を蹴破っ
て進むように、一切を悠々乎として押しのけて行くのである。

 そして尊厳な自己=真我 を心の奴僕という境涯から完全に釈放して、常に雄大荘
厳に心や肉体に堂々と主宰力を発揮して統御して行くという正当な人間本来の面目を
具現し得るに至る。

 判りやすくいえば、自己=真我 は心や肉体の従僕や召使でないという正しい生命
の消息を自覚行使し得るに至るのである。

 であるから吾等はひたむきに、この境地に悟入するべく心を如何に訓練し、如何に
誘導啓発するかということを正当に会得しなければならない。そして心を安全に操縦
してよく理想の境涯を把握しなければならないのである。
posted by 林田カイロプラクティック院 at 04:45| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする