2018年02月10日

「研心抄」(中村天風)

   2月10日(土)  「心」とは何ぞや?



 要するに各種の心を正確に区別収拾し、これを正当に操縦行使することが出来てこ
そ初めて本当の真人というべきである。

 そして、人がこの境地に達入する事が出来るようになれば、従来絶えず消極的の観
念や思想に拘束されて、あわれ万物の霊長たる人間が自分の脳みその中に巣を食って
いる寄生虫のような煩悶や苦労に痛めつけられ、時には終夜一睡もしないで、その生
命活力を減退するような愚にもつかぬ事を縷々行っていた昔が実におかしくもあり又
下らなくも感じて、今度はもろもろの雑念や種々の観念を任意に取捨統一して、正々
堂々と人生の上に大手を振って闊歩することが出来るようになる。

 実際! 心の操縦を完全に了解し且つ活用する事が出来るようになると、過去に自
己が行っていた事が余りにも滑稽でかつまた余りにも無謀であった事をしみじみ痛感
するのである。

 即ち過去に自己の行っていた事は、丁度持たなくてもよい重い荷物を誰に頼まれも
しないのに一生懸命手に提げて、そして重い重いと困っていたのと同様の事を行って
いたのであって、しかもそれが誰も逃れ得ない当然の人生苦のように諦め切れぬもの
を無理に諦めていたという自己の愚かさが本当に自覚される。

 そして人生苦悩の九十九パーセントは、子細に分析検討して見ると、自己が自己の
心というものを自己=真我 の生命用具として操縦する事を弁えず、反対にその生命
用具である心に年中追い回されていた結果、知らず識らずの間にいつしかその頭脳の
中に煩悶という価値のないものを念を入れてたたみ込んでいたという自己の人生に対
する大きな過ちに自然と気づく。言い換えると自己=真我 という尊いものを、その
生命用具である心の使い方を弁知しなかった計りに、反対にその奴隷の如くにしてい
たため、あわれ煩悶という悪魔のとりこになって、貴重な人生を物好きにも冒涜して
いたという反省念に目覚めるのである。
posted by 林田カイロプラクティック院 at 04:57| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月08日

「研心抄」(中村天風)

   2月8日(木)  針供養  「心」とはなんぞや?



 が然し、たとえどんなに高級優秀な心理現象が発動しても、心というものに自己人
生の主宰を委任すべきものではなく、厳粛に真理の上から断定すれば、心はそれがど
んな種類のものであろうとも、何れも真我の主宰を受け、その命令を遂行する生命用
具である事を忘れてはならないのである。

 往々在来の道義鼓吹者や精神修養を教える人の中に、心をもって自己を主宰支配せ
しむる事が最も正当な人生態度のように訓え説く人もあるが、それは生命真理の研究
が幼稚であった時代の所説なので、断じて心というものは自己に対する主宰力をもつ
ものではないのである。

 但し心は自己=真我 に対しての主宰力はないが、肉体生命に対しては立派に主宰
力をもつのであることは特に記憶すべき重要な事である。

 要するに、心をもって自己=真我 に対して主宰力のあるかのように思量するの
は、それはとりもなおさず肉体を自己なりと思惟する不合理な思想から胚胎するもの
だといえる。

 ところが、大抵の人がそれをそうと気づかず、心に自己を主宰支配する力があるか
のように思量するため、絶えず頻発する各種の心理現象のために自由に引き回され
て、悩まされたり苦しませられたりするのである。

 然しそれでは絶対に駄目である。かりにも人生消息に対して信念的自覚を確実に保
有する真人として活き行こうとするには、どんな種類の心であろうと、これを飽くま
で自己=真我 の生命用具として行使するようにしなければならない。

 それは恰も熟練した技師が精巧な機械を操縦するのと同様に、自己の手足を使うご
とく自由にこれを統一的に操縦支配して行く事の出来るように修養善導する事を心が
けねばならない。
posted by 林田カイロプラクティック院 at 05:21| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月06日

「研心抄」(中村天風)

   2月6日(火)  「心」とは何ぞや?



 が然し、大部分の人は、前述したとおり「心」「心」と盛んに口や筆でいうもの
の、この区別に無理解で、その概ねは、自分が現在使っている心だけを自己の心の全
部であるかのように思い込んで居る。

 然も現在自分の使っている心は、肉体生命に属する本能心と少量の理性心とだけで
あって、よりもっと高級優秀な霊性心の実在する事などに気付かず、従って現在自分
の使っている心なるものは、実は心の全量に比較するとわずか一端に過ぎず、心とい
うものはもっと奥もあり深さもあり分量も多分だという事にも亦気付かずにいる人が
多い。

 そしてもっと心というものを本質的に正当に使えば、人生をよりはるかに幸福にす
る事が出来得るものであるという価値高い実際消息には概ね無自覚の人が多い。

 私がこのように力説するのは、要するに普通の人が未だ気づかない方面に広大無辺
の心が存在しているから、営々と吾と吾が心を正当に訓練啓発して、自己の心霊の奥
深くに内在する幽玄偉大な力を発現せしめ、自他の人生に活用して、世の平和に協調
し得る真日本の建設に貢献するという、人生至上の大本願を完成して頂きたいがため
に外ならないのである。

 そして特に心の要素や約束を究めようとするものに必要な注意は、どんな幽玄な働
きをもち微妙な力を発現する心を自覚的に発見しても、それを自己の人生に対し主宰
力のあるもののように思量しては絶対にならないということである。

 というのは、とかく初心の間というものは、自己が未だかって味わなかった幽玄微
妙の心の働きや力を感得すると、全くこれまで自己の予想さえしなかったものだけ
に、すぐそれを無条件に価値高く思惟し、自己の人生の一切の主宰をこれに委任する
のが断然正当の人生態度であるかのように考えがちなものであるからである。

 これは要するに、心の訓練啓発その効を奏して第六感以上の感通作用(テレパ
シー) や感応力(クレアボヤンス) 等が発生したり、又霊智や霊感が発動する
と、いわゆる歓喜天的のエクスタシーを感ずる結果、心の価値を極度に至上視して、
これに人生を委任する事が最も安全率が多分にあるかのように思惟するという無理か
らぬ事由があるためである。
posted by 林田カイロプラクティック院 at 05:05| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする