2018年02月08日

「研心抄」(中村天風)

   2月8日(木)  針供養  「心」とはなんぞや?



 が然し、たとえどんなに高級優秀な心理現象が発動しても、心というものに自己人
生の主宰を委任すべきものではなく、厳粛に真理の上から断定すれば、心はそれがど
んな種類のものであろうとも、何れも真我の主宰を受け、その命令を遂行する生命用
具である事を忘れてはならないのである。

 往々在来の道義鼓吹者や精神修養を教える人の中に、心をもって自己を主宰支配せ
しむる事が最も正当な人生態度のように訓え説く人もあるが、それは生命真理の研究
が幼稚であった時代の所説なので、断じて心というものは自己に対する主宰力をもつ
ものではないのである。

 但し心は自己=真我 に対しての主宰力はないが、肉体生命に対しては立派に主宰
力をもつのであることは特に記憶すべき重要な事である。

 要するに、心をもって自己=真我 に対して主宰力のあるかのように思量するの
は、それはとりもなおさず肉体を自己なりと思惟する不合理な思想から胚胎するもの
だといえる。

 ところが、大抵の人がそれをそうと気づかず、心に自己を主宰支配する力があるか
のように思量するため、絶えず頻発する各種の心理現象のために自由に引き回され
て、悩まされたり苦しませられたりするのである。

 然しそれでは絶対に駄目である。かりにも人生消息に対して信念的自覚を確実に保
有する真人として活き行こうとするには、どんな種類の心であろうと、これを飽くま
で自己=真我 の生命用具として行使するようにしなければならない。

 それは恰も熟練した技師が精巧な機械を操縦するのと同様に、自己の手足を使うご
とく自由にこれを統一的に操縦支配して行く事の出来るように修養善導する事を心が
けねばならない。
posted by 林田カイロプラクティック院 at 05:21| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする