2017年09月06日

「真人生の探求(中村天風)

   9月6日(水)  取り越し苦労厳禁



 成程一応は御尤ものようだが、それは少し考え方に寸法違いがあるといえる。元来
古人のいった遠き慮り云々というのは、それは、明晰の頭脳で透徹した判断を下すこ
とをいったので、然も頭脳の明晰ということは、消極的観念をもつ者には、殆ど皆無
といってよいのである。何故かというと、消極的観念それ自体が既に頭脳の混迷を招
き、その結果論理思索に不統一な葛藤を生ぜしめるからである。従ってそうした心で
考えたことは、遠き慮りどころでなく、近き判断さえ完全に出来よう筈がない。そし
て、第一取り越し苦労がおおむね多くの場合、後になって見ると、さほど気にかけて
心配しいしい考えて、苦労しなくってもよかったというような、俗にいう案ずるより
産むが易いといったようなことであるのが、これまた殆ど通例である。私はいつも、
取り越し苦労をする人のことを、闇の夜道に提灯を高く頭上に掲げて、百歩二百歩の
先の方を、何かありはしないかと気にして歩くのと同じだといっている。静かに足元
を照らして歩めば、躓きもせず、転びもしないが、足元を見ないで、遥かの遠方のみ
を気にして歩けば、いつかは石に躓いたり、溝に落ちたりする。心もまたこれと同様
で、みだりに、未だ来たらざる将来のみに振り向けて肝心の現在を疎かにしたので
は、到底、心そのものの働きさえ完全に行われぬことになる。

 古訓にも、「心は現在を要す。過ぎたるは追うべからず。来たらざるは向かうべか
らず」。というのがある。

 また古歌にも「さしあたる、その事のみをただ思え。過去は及ばず、未来知られ
ず」というのがある。
posted by 林田カイロプラクティック院 at 06:04| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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