2017年09月07日

「真人生の探求」(中村天風)

   9月7日(木)  白露(朝夕涼しくなり、草木の葉に宿る露が白く光るとい
う意味で白露と言う。)   取り越し苦労厳禁



 これは何れも取り越し苦労の無価値有害なことを、風刺訓戒したものでなくて何で
あろう! 取り越し苦労と同じ心理状態で、無駄な心配をすることを杞憂というの
は、何人も御存じのことと思う。これは昔中国に杞の国というのがあって、その国に
三人の、極端な取り越し苦労をする男があった。その一人は、朝から晩まで、一日中
心配そうに空のみを見て歩き回っている。またそのもう一人の方は、これまた一日中
心配そうに地面のみを凝視して歩き回っている。ところがまた他の一人は、その両人
の後ろから、心配顔で、両人の顔を代わる代わりに眺めつつ、歩いている。一体この
三人は何を考えていたのかというと、空のみ見ている男は、いつ何時この大空が上か
ら落ちて来やしないか、そしたらどうなるだろう? と心配になっているし、地面を
凝視して歩く男は、この大地が急にどかんと底知れぬ処に陥没したら、どうなるであ
ろう? と心配しているし、両人の後ろからついて歩いている男は、一体この二人の
男は、こうして朝から晩まで何もしないで心配して歩いているが、この男たちの行く
末は、しまいには、どうなることであろう? と心配していたというのである。そこ
でこれを杞の国の三憂といって、愚者の標本とした。それが略称されて、無駄な気苦
労を杞憂というに至ったのだそうである。何れにしても、取り越し苦労は、愚にもつ
かぬことで、かりにも心を研ぎ上げようとするものの為すべきことでないと、厳かに
自らに誓うべきである。そうかといって何事も考えるな、やりっ放しに放り出して置
けというのではない。消極的観念で考えることを断然止めて、考えねばならぬ場合
は、積極的観念で思索すべしというのである。

 言い換えれば、積極観念で行われた思索は、概ね整然として、無駄なエネルギー消
耗を招来するような取り越し苦労にならないからである。
posted by 林田カイロプラクティック院 at 05:24| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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