2018年01月10日

「研心抄」(中村天風)

   1月10日(水)  「我」とは何ぞや?



 そこで然らば「心」を霊的境地に活かすには、そもそも如何なる順序と手段とを要
するかというに、第一にその基本要項として特に重大に考うべき事は、

 ○人生に対する特定の意識観念を確立する

という事柄なのである。

 然らばその特定の意識観念とは何かというに、先ず「真我」というものが、諸君の
目に見える肉体でなく、その肉体を超越したものであるという信念を作為するため
に、真我と肉体との関係を、恰も肉体とその肉体に着けている衣服との関係と同様の
ものと思量することなのである。

 即ち分かり易くいえば、肉体に衣服を着ているのと同様に、真我は肉体という仮衣
を着けているものであると思量するのである。

 なおもう一つの考え方は、真我は肉体という一つの家屋に、その生命を存続させる
便宜上宿っていて、一般の家屋の如くに肉体を使用しているのであると思量するのも
よい。

 それから次に必要とされる事は、真我が更に目に見えぬ心ではなく、その心をも超
越したものであるという意識観念を確立する事である。

 その為に考えるべきことは、真我というものは、自分自身の存在を、自己意識で自
覚する以前から、厳として実在していたという大きな事実を想到する事である。

 分かり易くいえば、諸君が諸君の真我に付属している心や肉体の存在を意識的に自
覚する以前から、諸君というものが、既に立派に存在していたという事を思量するの
である。

 この考え方が確立すると、真我なるものが心を超越した一実在であるという事が自
然的に判明して来るのである。

 即ち諸君が、各自の心や肉体の存在を自覚しなかった以前から諸君の生命を確保し
ていたものこそ、諸君の真我=自己の本体で、それが取りも直さず真正の自己なので
ある。
posted by 林田カイロプラクティック院 at 05:14| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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