2018年02月18日

「研心抄」(中村天風)

   2月18日(日)  「心」とは何ぞや?



 という事が事実であるということは、凡そ儕輩から傑出した程の人物を子細に観る
とすぐ分明する。彼等は一様に意志の力が頗る強い。即ちその強い意志の力で自己の
心は勿論人生の一切を完全に統御し、その結果よく阿蒙の群を抜いたのである。

 ところがある一派の学者の中には人間の心の中には本能心よりより以上階級の高い
理性心というものがあるから、本能心はこの理性を以て統御支配するのがよいと説い
て居る人もある。が然しこれには断然私は不同意である。

 というのは究極すれば理性心には完全に本能心を統御する力がないからである。

 即ち理性心というものは、前述したとおり事物事象に対する推理推考を司る心で、
従って事物に対する是非、善悪、曲直、邪正という事を批判分別する働きのみを固有
する心で、従って絶対的の統御力は保有していない、所詮は相対的のものなのでる。

 ところがこの相対的の批判力しかない理性心で本能心を統御しようとすると、丁度
手の付けられない我が儘な駄々っ子を理屈ばかりを小喧しくいう倫理の先生が、無理
やり自分の気分の欲する型の中に入れようとするのと同様で、結局は絶えず理性と本
能との衝突を招来し、より一層人生苦悩を増さしめるという無益な精神葛藤を惹起す
る結果が生ずるだけである。

 世にいう理智階級者が常に理性と本能的感情との相克に混迷するのは、このような
事実事由があるためである。

 否真理の上から論断すれば、一見本能心を統御し得るかのように考えられるこの理
性心も、やはりこれ又意志の力の統御の下に操縦せらるべき被統御心なのである。
posted by 林田カイロプラクティック院 at 06:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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