2018年06月25日

「研心抄」(中村天風)

   6月25日(月)  第二節 霊 そしてこの霊感というものを



 哲学者や又は宗教家がよく霊感ということを言う。一体その霊感とは何かという
と、霊感とは即ち前述の霊性意識から発現する「自覚正念」の別名なのである。であ
るから煎じ詰めれば霊性意識を発動させずに人生に活きている人には、この霊感=自
覚正念という峻厳犯すべからざる特殊の心的作用は容易に発現しないといえるのであ
る。

 そしてこの霊感=自覚正念なるものは、推理推測で物事を判断批判しようとする理
性というものよりは、物事の判断に対し遥かに超越した正確さを持つ尊厳なものなの
である。

 かのベーコンの如きはこの特殊の心的作用を形容して魂のフラッシュライトと称
し、更に「この霊感なるものは何等の推理推測を行うこと無しに然も刹那的に生ずる
迅速なる判断であり且つ又正しき断定なり」といっている。

 由来この心的作用は、厳密に言えば人間には男女の別なく公平に賦与されていると
いえるものなので、即ち心性意識本位でなく霊性意識本位で人生に活きる人には、何
人と雖も発現し得るはずのものなのである。

 かの有名なインドのYogi(ヨガ)の哲学者は、既に数千年の昔からこの消息を
知っており、彼らの生涯を捧げての修業の目的は、その日常の生活が完全に霊性意識
で活き得て、そして自由に霊感を発現し得る真人もしくは哲人たらんとするにあるの
で、従ってあの深遠な哲理も煎じ詰めると悉くこの霊性意識の生活を根本理念とし、
又それを目的として組織されているのである。

 何れにしても事実に於いて人間としての最高理想は、この霊感発現の人たるにある
ということは何ら疑いのないところである。そしてこの霊感というものを自由に発現
し得る人は、いわゆる霊格者と称し、普通の人格者よりも一段超越した神に近い人と
いえるのである。要するに吾人の修養の目的も又その点にあるので、実際に於いても
しも修養練磨しこの境地に達する事を得れば、いわゆる真の安心立命を獲得し、一切
の疑惑も恐怖も不満もなく、又毀誉も褒貶も心にかからず、恒に恬淡明朗という輝か
しい歓喜の世界に活きられるようになるというのも、つまり強固な信念が期せずして
作為され、それが又自己統御の基礎となるからである。
posted by 林田カイロプラクティック院 at 04:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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