2017年04月28日

「真人生の探求」(中村天風)

   4月28日(金)  発現の方法



 現にかくいう私なども、その困難を具に嘗め、極度の苦心を敢てした一人である
が、然し何れにしてもこの力は、要言すれば、その発現過程の原則的真理を正しく探
求理解するということを先決問題として、その理解を核心として考査を進めれば、こ
れに準じてその発現方法も、その論理思索に応じて解決に至るものである。

 そして、前に幾度かいうように、何人にもこの力は実在しているものであるから、
ひたむきに、発現に対する正しい方法を実行さえすれば、何人にも現実に発現して来
るのがまた自然のことなのである。

 そこで然らば、その発現の方法は? という枢要問題であるが、これには、相当前
提となる理解を必要とするから、順序を追って、出来得る限り分かり易く、演繹的に
論及することにする。
posted by 林田カイロプラクティック院 at 05:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月25日

「真人生の探求」(中村天風)

   4月25日(火)  発現の方法



 尤も然し、多くの人々がこの力の発現を、決して容易なものではないように考える
理由の中に、学者や識者の責任も多分に存在していると思う、というのは、それが時
の古今といわず、この力の実在を力説している学者や識者が、殆ど一様にといってよ
い程、この力の実現に関する論理的考証という肝心な事を、研究発表していない傾向
があるからである。

 分かり易くいえば、人間には潜勢力という偉大な力が、誰にでも生まれながら賦与
されてあるから、その力を充分発現せしめれば、よりもっと価値ある人生に活きられ
るぞと、力説してくれている学者や識者は相当多いが、さてそれなら、どうすればそ
の尊い力を何人にも自由に発現せしめることが出来るのか、という一番大切な問題に
は、案外にも事実に於いて論及している人が余りにも少ないのである。

 それがため、折角この力の実在ということを自覚し得ても、これを発現せしめる方
法なり手段なりの研究を確実に進める適切な参考資料が、極度に少ないので、従って
勢い哲学や心理学は勿論、更に精神科学乃至は自然科学というように、かなり広汎な
範囲に至る研究を現実にしなければ、容易にそのヒントを把握し得ないという終始形
容の出来ない困難と苦心を伴うために、遺憾にも途中で放棄するのやむなきに至ると
いうのが、殆ど共通的に存在する実情なのである。それがために、その当然の帰結と
して、この力の発現は容易なものでなく、不可能事だと考えざるを得なくなるのであ
る。
posted by 林田カイロプラクティック院 at 05:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月23日

「真人生の探求」(中村天風)

   4月23日(日)  発現の方法



 それからまた更にこう考えている人もある。即ちこの力はたしかに、人間の生命の
中にあるには相違ないが、それは中々普通人の営んでいるような生活状態では、到底
発現するものではない。およそ、凡人容易に企て及ばない難行苦行を積んで、人間全
体を作り変えない以上は、任意に発現せしむることは、断然不可能である。その証拠
には、古来この力を発現し得たいわゆる仙人とか覚者とか哲人とかいうものを看て見
ると、殆どその全部が皆一様に、或は山に籠り谷に住まい、霧を吸い、木の実を食し
て、ひたすらに精進潔斎という苦難の修業を敢てしている。だから我々も、そうした
特別な人生生活に入らぬ限りは、何としてもこの力の発現は望んでも得られないと。

 然し、これらの考え方は、何れも正鵠を失した、間違った考え方だと、私は遠慮な
く申し上げる。

 否、能わざることなき万能の造物主は、そんな不公平な、そしてそんな不自然な処
置の下に、万物の霊長たる人間を作っていない。

 要は、その発現の方法を、正しく考えないためだということに帰因する。即ち、人
間の本質を究極する論理的思索が正確に徹底しないからの結果であると、いわねばな
らない。



 
posted by 林田カイロプラクティック院 at 07:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする