2018年04月09日

「研心抄」(中村天風)

   4月9日(月)  第一節 精神統一に関する理解



 事実に於いて注意というものが粘り強く結合され得るようになると、観念というも
のは自然的に統合され、その結果精神は当然統一される。そうすれば意志集中も当然
現実化するため、心の一切はその集中された意志から発動する強い力で完全に統御さ
れ得るようになる。そしてひいて汎き意味に於ける自己統御というものも期せずして
完成される。

 恰もそれは宇宙間に遍満存在するエレクトロンやプロトン等の電気要素が結合結集
すると、真に驚異に値する偉大な力となり、或は光となり又熱となるのと同様である
が、これを現実に具体化するには正確な設計と厳密な装置とをもつダイナモを必要と
する。万一ダイナモの設計なり装置に完全を欠くならば、到底所定の電気は発現すべ
くもない。

 そこで真我直属の意志の力というものを現実に発現せしめるダイナモに相当するも
のは精神である。従ってこの意味に於いて精神統一が必須とされるのであるから、そ
の要素の現実完成のために、吾人は平素人生に活きる際その精神を行使するのに、常
に粘り強い注意を何もの何事に対しても注ぐように不断に心がけるべきである。然
し、くれぐれも誤解混同してはならない事は「粘り強い注意」という事と「執着」と
いう事である。

 というのはこの両者は皮相的に見ると頗る酷似して居る心的状態であるがため、
往々混同誤解され易い傾向が顕著にあるからである。ある人が非常に囲碁に熱中し夜
寝て夢にまで見る程で、従って昼間も囲碁の事がその頭から離れず何事も手につかず
宛然囲碁に憑かれたようになり、そのため度々大事を忘れたり、持ち物を失ったり、
果ては文字通り囲碁のために寝食さえも忘れるという状態になった。友人たちはその
熱中ぶりを驚嘆し、実に熱心驚くに堪えたりと賛辞を呈して褒めそやしたというが、
これなどは断然粘り強い注意というべきでなく、いわゆる執着に類すべきものといわ
なければならない。
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2018年04月03日

「研心抄」(中村天風)

   4月3日(火)  第三章 意志と精神統一

              第一節 精神統一に関する理解



 およそ完全な人生に活きていくには、その先決問題として、真我の生命用具である
心的機関を常に適宜に操縦するべく意志の力の発現を現実にしなければ、到底所期の
目的を達成することができないという消息は、既に前章の説明で充分理解された事と
信ずる。

 そして意志の力の現実発現は古往今来いろいろの手段や方法が識者によって提唱さ
れているが、就中精神を統一して意志の集中を作為する事がその最も合理的の捷径で
ある。というのは精神がいったん統一されると雑念妄念が完全によく排除され、その
精神領域はいわゆる明鏡止水の状態になるため、期せずして意志集中という事が極め
て自然的に作為されるためである。

 ところがただここに問題とする事は精神統一という事柄なのである。世人の多くを
見ると、口に筆に精神統一という事を盛んに言う人は多いが、さて実際に則して見る
と案外にも精神の統一されて居る人というのは極めて少ないという実情である。そも
そも一体これはどんな理由から生まれたことかというと、一言にしていえば多くの人
は平素自己の心を行使する際、精神統一と相関的に密接な関係のある注意という大切
な心的状態が極めて散漫にされているためである。即ちそのため精神統一の基本条件
である観念の統合という肝心な事が欠如され、反対に観念の分裂を招来しているため
である。

 そこで精神統一を現実化するには、その順序の過程として先ず注意の結合という事
を第一に習性化すべきである。判り易くいえば、何事何ものに対しても常住結合され
た注意が粘り強く注がれるように心を訓練する事である。
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2018年03月27日

「研心抄」(中村天風)

   3月27日(火)  心に関する重要な理解と消息



          バツ(漢字)



  それ人の本体は、肉身に非ず、又心にも非ず。絶対にして不変又不滅不朽なる霊
魂なり。

  然るに人の多くは、この荘厳なる消息を悟る能わず、徒に心又は肉身をその本体
なりと思い惑う。

  そもや仮想は実相の姿に非ず、またその本質の現れにも非ず。

 身といい心と称えるものは、真我の命が現象の世界に活き行くための一切方便を行
わんがための命への要具なれば、ただこれを巧みに調整行使して、ひたすらその性能
の完全なる発揮を促さざるべからず。

 知らずや、たとえ名工名匠と雖も、その用具の完きものなくば恰も腕無きに等し。

 さらば、われ人共に、真にその人生に安定(あんじょう)せんには只一念吾が命の
要具たるこの仮想の存在をより良く完(まった)からしむる事に三昧せざるべから
ず。

 かくして初めて人としての正しき幸いを受くるを得ん。

 悟らざるべからず。勉めざるべからず。
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