2018年03月20日

「研心抄」(中村天風)

   3月20日(火)  意志の力の発現に関して



 勿論この実行は当初の間は多少の困難を感ずる事であろう。就中身に病を持つと
か、心に悩みを持つ人には、特に鎮心上に一層の努力を要するかも知れないが、その
時決して無理に心の錯綜混乱を抑制しようと焦慮してはならない。即ちしばらくは心
の成りゆきに任せて悠々乎として心の秩序なき活動力の止むのを待つに如かずであ
る。時には奔馬ただならずというように始末に負えない程乱詠な状態で複雑多端に活
動するかも知れない。然したとえ心が如何に騒ごうとも些かもこれに懸念することな
く寧ろ平然たるべしである。そうすれば遂には心それ自身力尽きておのずから静止す
るに至る時が来るものなのである。無論最初の間は相当の時間を要するかも知れない
が、然し漸次実行の回数を重ねるにしたがい、遂には随時随所自由自在に心を鎮める
事が容易に出来るようになる。そしてこの実行を長期に亘って繰り返して実修してい
ると、いつかは真我の本体もハッキリと認識し得るようになる。そうなるともうしめ
たもので多年の間自己を苦しめたものは、自己の生命用具である心を真我の属性であ
る意志を以て正当に統御しなかったために、心が勝手気儘に秩序なく騒擾し、その上
常に肉体のために翻弄されて極度に動乱していたためだという事実を判然と自覚し、
進んで宇宙の大本体と真我との関係が分かり、同時に生命の力(Vril)と心との相関
関係も明瞭に了解し、結局真我と宇宙の絶対とは果然合同し得る崇高なものだという
人生哲理の真諦を確実に把握し得るに至る。

 そしてこの最高自覚感が真に確立するようになれば、吾が心霊は低級境地を離れて
至上の妙境に向上する。そして何事に際会しても微動だにせぬという悟入大定に三昧
し得るいわゆる歓天喜地の彼岸境地に到達する。

 が、かえすがえすも践行の効を見るに急なる勿れである。要は忍耐と不撓の努力と
で丹念に繰り返される正しい瞑想を行ずるにある。

 そうすればいつかは諸君の感応を通じてその意識に手答えある震動は与えられ、や
がて来るべき自然の会得を拓く鍵を把握し得るは必然である。従って所詮は一意践行
の功を積む事に依って諸君の霊魂(真我) から諸君の一段高い心境への至妙の囁き
を待つ事のみである。

 否こうする事に依り諸君の低級心界はよく払拭統一され、真我の燦たる霊光を遮ぎ
るものが除かれ、霊覚の眼を覚ます意識の黎明を現実に促し、真人としての基盤も牢
固として確立する。
posted by 林田カイロプラクティック院 at 05:38| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月13日

「研心抄」(中村天風)

   3月13日(火)  意志の力の発現に関して



 そこでなお一層この意識観念の確立を現実に助成する手っ取り早い方法として、次
の事の実行をお薦めする。即ち一日の中で適当な時を選んで、瞑目一番心を鎮めるい
わゆる鎮心行というものを行うのである。勿論その体勢は静座でも、椅子に腰かけて
も、又仰臥してでもよい、すると人に依って早い遅いの相違はあるが、やがて暫時に
して心の複雑な活動が止む時が来る、その時である。心の活動が止んでもそこに一つ
厳として自己存在の意識だけが残留して居る事を自覚されるに違いない。判り易くい
えば「われ在り」という意識だけは絶対に消滅しない。そしてこの意識を例えおぼろ
げにでも自覚し得れば、自己(真我)というものは、心よりも又肉体よりも超越して
居る一実在であるという意識観念が自然と確立され、諸君は悟入自覚という精神的進
歩の第一階級にその第一歩を踏み入れたこととなる。そしてこの意識観念確立の程度
に伴って益々自己(真我)の正確な自覚感に鮮明の度を加えて来る事になる。
posted by 林田カイロプラクティック院 at 05:02| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月06日

「研心抄」(中村天風)

   3月6日(火)  啓蟄(地中で冬眠した虫類が、陽気で地上に這い出す頃

               の意で啓蟄という)



       第二節    意志の力の発現に関して



 この意識観念が確立されれば、昨日までの自分と今日の自分との上に実に嘱目すべ
き格段の相違と距離とを事実化し、今までのように自己の生命用具である心及び肉体
と自己(真我)とを混同しないようになり得る。そして今までよりも更に適当に心の
統御支配が正確に為し得るようになり、即ち用うべきものは用い、捨てるべきものは
捨てるというように、心の運用も断然安易を感ずるに至るのである。

 事実に於いてこうした意識観念を確立して自己を統御すると、正確に真理に順応す
る完全統御を頗る行い易くなるのである。そしてこの意識観念は理性心にも霊性神に
も応用し得る事また極めて容易で、その上その実際効果率も頗る多分である。

 というのは、この意識観念は一切の心を自己(真我)の統制下に於いて自由に操縦
し得るその第一過程となるからである。即ち今までにしたような本能心や理性心から
発生する心的作用や心理現象を、矢庭にそれを自己本体の意念のように速断して、徒
にこれに捉われて苦悩して居たという軽率からどんなに自己を救い得るか分からぬか
らである。実際多くの人々は真我の家屋や着物ともいうべき生命用具である心や肉体
に余りにも捉われ過ぎている。そしてその不必要なものにもなお纏綿と執着を以て、
人生苦を我から物好きにも増大しているという事を何を措いても先ず知らねばならな
い。
posted by 林田カイロプラクティック院 at 04:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする