2018年05月07日

「研心抄」(中村天風)

   5月7日(月)  第二節 有意注意力集中の訓練法



 これに就いて有益な一挿話がある。ある油絵師がどうしても裸体描写がわれながら
拙劣で到底自分には裸体画というものは描けぬと断念したものの、出来ないものは一
しお何とかして見たくなるという一種のアイロニックな観念で、どうかせめて自分の
満足する程度のものでよいから描き上げて見たいものと、折にふれては絵筆を手にし
て見るものの、いつもその習作の中途でご破算をせざるを得なくなり、そういう時に
は無性に自分の不器用さを腹立たしく感じるので、矢庭にバルコニーや庭面に飛び出
して、あてもなく空を眺めて半ばやけ気分で呆然とするという癖があったそうであ
る。ところがある日の事、例によって不出来な習作に快快として気を腐らしバルコ
ニーに佇んで見るともなしに空を眺めると、中天の其処彼処に片々たる雲影が散見し
て居た。それを無心で見ているうちに不図その雲の一つの中に人の形の様なものを発
見し、然もそれが見れば見る程何とはなしに裸体に見えるので、何とも言い知れぬ興
味を感じ出した彼は、なおも他の雲を眺めると、何とそれぞれ濃淡とりどりの裸形が
その中にあるように自分の眼に映ずるのでますます深い興味を感じ出し、その後は雲
の中から自己想定の裸体を見出す事に異様な感興を覚え出し、毎日余念なくそれを楽
しみに行っているうち、いつしかそれが彼の心の中で立派なモデルとなって、後年有
名な裸体の名画を作成した一画伯となったという話である。

 吾人の訓練を要するものは意志に非ずして心なのである。

 記憶力の良不良という事は、直接人間の全ての能力に密接不離のしょうちょうかん
けいのあるものである。有意注意を習性化するということは取りも直さず自己の人生
の全体を向上せしめるものだといえる。

 老年者でも有意注意を習性化することに努力すると、青年に劣らぬような記憶力が
作られる。

 「何事を行う際にも決して気なしに行わぬことを心がける」ことが最も適当な訓練
法である。
posted by 林田カイロプラクティック院 at 04:52| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月30日

「研心抄」(中村天風)

   4月30日(月)  振替休日  第二節 有意注意力集中の訓練法



 完全な自己統御の要訣である意志集中を現実化するのに必要とする精神統一という
ものの根本条件を為す観念の統合に重要な有意注意力の訓練ということに就いては、
これまた相当いろいろの方法が心理学者や精神科学者に依って説示されているようで
あるが、その何れも繁忙な実生活に携わる人々には余りに形式的で到底その煩に堪え
得ぬものが多く、従って兎角永続性に欠けているものが多いのも事実である。そこで
私は最もその方便の容易なものとして日常多忙な人生生活を行いながらこの目的を安
易に達成し得る特殊の方法を述べる事とする。

 先ず第一に理解せねばならぬ事は、日常人生生活を行う際に、特定的の心がけを決
定する必要があるという事である。というのは由来注意というものは興味という事と
恒に相対関係があるものなので、即ち興味の伴うものには求めずとも注意を相当永く
振り向け得られるが、そうでないものには普通の場合どうしても注意の注がれる力の
程度が弱いものなのである。これは多くいうまでもなく興味というものが、注意を自
然的に喚起する力を有して居るからなのである。現になによりの証拠には、興味を感
ずる演劇とかまたは書籍などは大して疲労もせず又倦怠感も覚えず、粘り強い注意が
相当長時間永続的に振り向けられる。然し反対に興味の薄いものであると、忽ち倦怠
を感じて注意は短時間で直ちに分裂し始める。

 要するに有意注意の訓練には、この真理と事実とを如実に応用するのが最も捷径な
のである。即ち何事に対しても、先ず第一に物そのものの中から何かの興味を見出す
か、又は特に興味を自己自身作り出すかの、その何れかの方法を採るという事を心が
けるのである。勿論この方法は当初の間は多少の忍耐と努力とを必要とするには相違
ないが、俗にいう「成ろうより慣れろ」で少し習慣がつくと、どんな事でも又どんな
ものの中からでも自己の注意を喚起するような興味ある事実を見出し、もしくは自身
作り出す事が容易に出来るようになるものである。
posted by 林田カイロプラクティック院 at 05:02| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月23日

「研心抄」(中村天風)

   4月23日(月)  第一節 精神統一に関する理解



 第二の有意注意というのはこれと全く反対なので、即ち特に意識を用いて自己の特
定した事物に向かって注意を振り向けるという、言い換えると能動的の注意状態をい
うのである。

 第一の無意注意の方はどんな人でも、否人間以外の他の動物と雖も敢て特に修練す
る必要なく、本能的に為し得るいわば本来的の注意であるので、これは殊更訓練の必
要はない。吾人の訓練を必要とするのは第二の有意注意なのである。

 事実に於いて多くの人は、普通の場合自己自身に直接感興を催さないような事柄に
は中々容易にその注意を振り向けようとしないものである。従ってそういう場合に
は、粘り強い注意をそれらのものに振り向けるなどという事は出来ない。また無理に
振り向けようと努力しても、一定の訓練を経ていない心だと、そういう場合ややもす
るばその心の中に頻々として次から次へと続々と発生して来る雑念や妄念のために他
動的刺激を受けて、第一の無為注意の方が盛んに発動して肝心要の有意注意の方は攪
乱されてしまう。

 こういうわけで何ものに対しても粘り強い注意を注ぎ得る心を作るためには、有意
注意の訓練を正当に行修しなければならないのである。
posted by 林田カイロプラクティック院 at 05:12| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする