2018年03月05日

「研心抄」(中村天風)

   3月5日(月)  第二節 意志の力の発現に関して



 意志の力の発現と精神統一とは絶対不可分の条件の下にある。

 意志は精神領域が整然としている場合にだけ、その本来の絶対性を働きかけ集中す
るものである。

 本能的に発生する肉体感覚は勿論、その他各種の情緒であれ、はたまた理性心であ
れ、更に高級な霊性心であれ、苟も精神領域に発現するものは、悉くこれを客観視す
るという意識観念を習慣づけることである。

 たとえば今までは腹が減ったとか、手足が痛むとか、発熱したとかというような感
覚的の事は勿論、或は怒り悲しみ憾み妬みというような感情情念が発生した場合、概
ね多くはそれを直ちに自己の体が痛むとか私は腹が立つとかと考えていたのを、今後
はそれを自己の生命の附属要具である心がそう感じるので、即ち自己(真我)にはそ
う言う事態が発生しているのではなく、空腹感であれ、痛覚感であれ、乃至は怒りで
あれ、悲しみであれ、一切精神領域に発生するものは、心がそれを感じるのである
と、丁度第三者の動静を看るようにすべての心的作用や心理現象を思量するという意
識観念を習慣づけるのである。
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2018年03月01日

「研心抄」(中村天風)

   3月1日(木)  全国火災予防運動  「心」とは何ぞや?



 意志とは、真我そのものが絶対純正のもので、その純正なるものの属性であるか
ら、これまた絶対純正なものなのである。そしてその力もまた絶対的のものなのであ
る。

 ところがよく世間には、どうも自分は意志が弱くて困るとか、あの人は意志の弱い
意気地なしであるとかということを平然という人があるが、それは畢竟意志というも
のの本質を弁知せぬためと、そしてまた意志を精神作用の一種のように皮相的に考え
るからの結果に外ならない。

 前述の通り意志そのものは絶対的のもので、ただそれが強いとか或は弱いとかとい
うように感じられるのは、その発現の際の状況条件の相違があるからなので、即ちそ
の発現習性が完全に附いている場合は、その本来のままに絶対的に作用するが、そう
でない場合にはその本来のままを作用しないからである。

 だからこうした理由からしても、吾人は須らく人生に対する当面の急務として、意
志の力の発現を習性づける合理的の手段を知得しなければならないのである。



 そもそも意志の力の発現に対し、どういう手段が合理的かというと、常住精神状態
を積極的に把持し、必ず統一してこれを使用するということである。
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2018年02月22日

「研心抄」(中村天風)

   2月22日(木)  「心」とは何ぞや?



 が然し、何れにしても心の統御を完全にするのには、この意志の力を任意に然も強
く、いつ何時にでも発現し得るように習性づけねばならない。そして先ず本能心を適
宜に統御し正当に善導し、ひいては理性心の開発を正しく行い、且つ又霊性心の発現
をも現実に助長しなければならない。

 実際厳格にいえば、一切の心の働きは意志の力の発現する程度に即応していると
いってよいので即ち意志の力が強く発現すれば心の力もまた強く働き、意志の力の発
現が弱いと心の働きも弱くなる。

 故に結論的にいえば、意志というものは心は勿論、人生の活きるためへの羅針盤と
いってよい最高の資格を人生に対してもっているものなのである。

 もっと分かり易くいうならば、意志の力が現実に発現した時、初めて心に対し立派
な統率者命令者が出来た事になるがため、心が散漫な無統制の状態で働かなくなる。

 言い換えると、心というものを意志が作った鋳型の中へ流し込んで、その鋳型の通
りに心を作り上げるに等しい。

 一体人々の多くが吾が心を吾自身中々うまく自由に統御する事もまた働かせる事も
出来ずにいるのは、畢竟意志の力の発現を習性づけるという肝心な事に努力しないた
めで、心に何らの統率者も命令を与えるものもなく、ただ心の動くに任せて奔放散漫
にさせるからである。

 俗に、意馬心猿、という言葉があるが、これも要するに意志という馬さえ完全であ
れば、心猿如何に我儘で勝手の場所に行きたくも、所詮は意馬の赴く所に従わずには
おられぬこととなる。

 そこで幾度も言う通り意志の力を常住任意に自由自在に発現し得るよう習性づけな
いと、いざという肝心の場合に心を適当に善導する統率力が無になるために、心を完
全に操縦するどころでなく、かえって心の為に反対に翻弄され徒に煩悶や苦労を増加
して、犬や馬の幼稚な心の方がどれだけ良いか分からないと愚にもつかぬ嘆声を漏ら
さぬとも限らぬようにさえなる。

 但し特に付言すべき事は、意志の力と強情という事を混同しては絶対に不可という
ことである。それは丁度図々しいのと大胆という事を同一視するのと些かも変わらぬ
大間違いであることを、よく知るべきである。図々しいとか強情というような心理作
用は本能心の中に存在する心なので、意志とは微塵も関連のないものである。
posted by 林田カイロプラクティック院 at 04:55| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする