2017年07月20日

「真人生の探求」(中村天風)

   7月20日(木)  連想暗示法



 もっと分かり易くいえば、夜一旦就寝しようとふとんの中に入ったら、たとえどん
な悲しい事や、腹の立つことや、その他の気にかかることがあっても、それを断然明
日の宿題とすること、即ち今正に自分は一日の疲労を休養するため、これから睡眠を
とるのだから、精神も肉体と同様に安息をあたえなければならない、だから、当面し
ている人生の一切の事柄は、明日目が覚めてから分別考慮しようと、特に消極的に心
を陥らすような問題は悉く明日回しとして、出来る限り、明るい朗らかさと活き活き
とした勇ましさを感じ得るような、ほほ笑ましい事だけを心に連想思考せしめるので
ある。

 この方法は、皮相的に考えると、一寸困難のように思うかも知れないが、試みて見
ると案外速やかに一種の習慣が助成されて、容易にその目的を達成し得ることが自覚
されるのである。というのは、夜の寝がけというものは、だれにでもその大脳に制止
作用が生ずるので、たとえ雑念妄念が発生しても、自己の心の狙いどころを、明るく
朗らかに、活き活きとして勇ましくという点に置いて思考連想を行うと比較的それに
凝念することも、極めて容易に出来るように、本来的に精神機能が作られているから
である。

 その上、夜の寝がけの際は、人間の精神の暗示感受習性が、一日中最も旺盛になる
時なので、これを心理学では、ラッポウ期の状態というが、そのラッポウの旺盛であ
る夜の寝がけに、こうして、意識的に自己自身の心を持ち替えて積極的の思考連想を
行いながら眠りに入るようにすると、その積極的の思考が、期せずして、強力な暗示
として、潜在意識領に適格に受容印象され、当然観念要素は行うに従って、寧ろた

やすく積極的に更改されるのである。

 だから、ただ無邪気に、明るさと朗らかさと活き活きとした勇ましさを感じること
を思考連想すれば、それでよいのである。別にこれを行うに信念を特に必要とするの
でもなく、また難しい凝念的の努力をする必要もない。寧ろ一日中あくせくと、精神
も肉体も活動させたので、せめて夜の寝がけだけでも、その心をたのしく過ごさせて
やろうという位の、平易な気持ちでこれを行えばよいのである。 
posted by 林田カイロプラクティック院 at 05:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月18日

「真人生の探求」(中村天風)

   7月18日(火)  連想暗示法



 尤も、そういう場合、坐禅行の方では、雑念や妄念が発生したら、発生するに任せ
て相手にするな、そうすれば次第次第に、その雑念妄念の方から退散して行き、遂に
は、よく一心三昧の彼岸妙境に到達し得るに至ると、導師の大部分はいうそうだが、
それもそうかも知れないが、これには少なからぬ努力と時間とがかかると思う。とい
うのは、雑念妄念を相手にするなという言葉に捉われて、相手にするまいという努力
に、言い知れぬ消耗率を心に与えるという結果を招く。俗にいう坐禅病と称する神経
衰弱症の一種は、要するにこうした原因関係から生ずるともいえるが、尤もこれも導
師側からいわせると、所詮はそうした苦難を経なければ、本物にはなれないというら
しいが、それもそうに違いないとはいえ、然しそれは専門にそういう修行に没頭する
ことの出来る人とか、または時間に相当の余裕を持ち、且つまた人生規範の係累を多
分に持たない人なら、或はやってやれないこともあるまいが、現在一刻の休みもなく
忽忙たる人生に謳掌し、その上自己の運命問題とか、健康問題とか、その他諸種雑多
の生活事実に、心を連綿して活きつつある人々には、到底一切を犠牲として忍耐努力
して行いとおせるものではないというのが、これまたおおむね共通的の事実である。

 そこで私は、前にも述べた通り、折角の良法を、上の様な事情から、実行難に陥る
のを如何にも心惜しく考え、何とかしてもっとこれを応用率の普遍的のものにして見
ようと、百方研鑽した後、どんなに下根の人も容易に、何等大した努力をする必要な
く、よくその目的を達し得る一方法を創案した。

 それは、毎夜就寝の際の、自然傾向たる大脳の制止作用を応用する方法であって、
分かり易くいえば、夜の寝がけの時の心持を換えるのである。
posted by 林田カイロプラクティック院 at 05:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月17日

「真人生の探求」(中村天風)

   7月17日(月)  海の日  連想暗示法



 然し、ここに注意すべき問題は、在来の方法其の儘では、中々初心の者にはその効
果を思うように挙げ得るまでに相当の修練を要する。そのためにその目的及び理論主
張には相応に立派なものがあるが、何分にも上のような事情のため、その実行応用が
普遍的に徹底されなかったという遺憾な事実があったのである。

 それを私は、だれにも行入極めて容易で、且つ奏効率百パーセントの方法に、特殊
形式を以て組み立てたのであるが、その方法を説く前に、一応在来のこの方法の行修
方式を参考のため略述することにする。

 即ちこの方法は、一日の中で、適当の時を選んで静座瞑目して、たとえ現在の人生
事情がどうあろうと、即ち病が身にあろうと無かろうと、また運命が良かろうと悪か
ろうと、一切それに係わることなく、全然それと正反対の積極的事項を、自ずから意
識的に一心不乱の状態で吾が心に思念瞑想せしめよ、というのがその大要である。

 そしてこうすれば、一体どういう結果が来るかというと、その思念度が強烈であれ
ばある程、言い換えると、その思念の強さの程度に比例して、心はその思念の誘導を
受容し、次第に消極状態を減退して、積極化して来るという、即ち心理現象に対する
推移過程上からの推論を基本として考案されたものなのである。

 勿論これは、何の異論を挿む余地のない、立派な精神強化の自己修行法に相違ない
が、ただ実際問題として考えさせられるのは、何事かの人生事実に直面して、その心
に心配とか、煩悶とか、焦燥とかというような気持の生じている時、落ちついて適当
の時間静座瞑目、思考を渾一状態に凝念するという余裕が、精神的にも、時間的に
も、普通の人には、中々もちにくいことと思う。特に初心傾向の人では、かりにこれ
を試みるとしても、積極的事項の思考を一糸乱さず凝念しようと思えば思うほど、皮
肉にも消極的思考の方が心の中に発生して来て、雑念妄念次々と湧き、この方法の奏
功上一番大切な一心不乱という条件が、消極方面のみに傾注されてしまうという、厄
介な状態に陥るのが共通の事実なのである。
posted by 林田カイロプラクティック院 at 08:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする