2017年07月06日

「真人生の探求」(中村天風)

   7月6日(木)  観念要素の更改



 そこで、吾吾は、大いに厳密な査定を、吾が心に施して見る必要がある。即ち、

 常日頃とかく物事を消極的に思考する人の潜在意識領内にある観念要素は、殆ど消
極的のもので充満している実状なのである。

 では何故、現代人の観念要素が、概して消極的のものが多いかというと、もとより
その原因は種々多様で、微細に分析すれば千差万別の夥しいものになるであろうが、
大体において父祖の遺伝関係もあろうし、また自己の受け入れた智的教養や、自他か
ら受ける人生経験というものも、大きな原因として見逃すことは出来ない。

 いずれにしても、積極精神作成の先決要項である感応性能の積極化を現実にするに
は、実在意識領の思考作用を積極化する必要上、潜在意識領内に保有される観念要素
の更改を具体化しなければならないことになるからである。

 即ち、言い換えれば、観念要素の更改とは、潜在意識領の浄化を期成することで、
分かり易くいえば、心の倉庫の大掃除をして、古い役に立たないものや、あるとか
えってよくない結果を心に与え延いて生命全体に与えるものを、真に役立つ価値ある
ものと入れ替えるということになるのである。

 もっと、通俗的にいえば、一個の樽の中に入れてある水に、塵や埃やその他の汚物
が混入し、ボウフラやその他の細菌類が充満した時、その樽を完全に洗い清めて、あ
らためて新鮮な清水を入れ替えると同様のことが、この観念要素の更改ということな
のである。

 そこで、この観念要素の更改という問題はどうすれば解決されるか?
posted by 林田カイロプラクティック院 at 05:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月04日

「真人生の探求」(中村天風)

   7月4日(火)  観念要素の更改



 然し、それはただ現象にだけ眼を注いで、心の内面の消息に対する観察や研究の不
充分なための主張であって、もう少し心に対する理解が正しく智識づけられれば、な
お考えなければならないことが多くあることを感じるに違いない。

 そこで、その理解に必要とする消息を説明することとするが、一体人間の思考作用
というものは、心の深部で行われるのでなく、心理学的にいえば、実在意識領と称す
る分かり易くいえば、心の第一層面(心の表面)で行われるものなのである。この思
考が心の表面の実在意識領で行われる時、実在意識領の単一な作用で、種々雑多の思
考がその領域自体から発動するのではないので、実在意識領が、何事かの反応なり刺
激を受けて、思考作用を行おうとすると、咄嗟これに応じて、心の深部にある心の倉
庫ともいうべき処から、その思考を組み立てる材料要素を実在意識領に運び込んで、
そこで一個の思考形態が具体化するものなのである。心理学上からいうと、この心の
倉庫ともいうべき心の深部にあるものを、実在意識に対応して潜在意識と名づけ、思
考を組み立てる材料要素となるべきものを観念要素と呼んでいるのである。

 であるから、実在意識と潜在意識とは、常に一連の結合をなしている不可分のもの
で、人間の思考には、特にこの潜在意識領内に保有される観念要素というものが、殆
ど皆その因子を為しているといってよいのである。そして、潜在意識内にある観念要
素が、消極的のものを多分に保有していると、イザという時、どんなに積極的に物事
を思考しようと努力しても、断然不可能に終わるということになるのである。
posted by 林田カイロプラクティック院 at 05:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月03日

「真人生の探求」(中村天風)

   7月3日(月)  観念要素の更改



 観念要素の更改とはどういうことかというと、先ず第一に理解すべきことは、人間
の心で営まれるいろいろの思考作用は、すべて一切この観念要素というものが、その
組織の根柢を為すということと、更に随時随所その心で営まれる思考作用というもの
が、一々物の声に応ずる様に感応性能に反映するということである。これは積極精神
を作成しようと望む者にとって極めて重大な理解であるから、もっと詳細にかつまた
分かり易く説明することとする。

 さて我々人間は、物心ついてから、三寸息絶えて万事休するその刹那まで、熟睡す
る時以外は、絶えず何事か思い、何事か考えている。何にも思いもせず考えもしない
といういわゆる絶対無意識の時というものは殆どない。もしあったとしても、ほんの
瞬間だといってよい。

 そして、特に注意すべきことは、その思ったり考えたりすることがすべて積極的な
らば、敢て何も言うところはないのであるが、もしもその思うこと考えることが、消
極的である場合は、前に述べた通り、心で行われる思案の一切が、一々最大漏らすこ
となく感応性能に反映する関係上、消極的の思考は直ちに感応性を消極化してしまう
のである。

 そこで、更に慎重に反省しなければならぬことは、お互い現代人が、隋処随時その
心を思わせ考えさせていることは、率直にいえば殆どその九分九厘までは、消極的で
はないのであろうか! ということである。即ち、悲観したり、腹をたてたり、煩悶
したり、恐怖したり、という風に-------だとすると、どんなに、心の強くあること
を祈り、明るく朗らかに活き活きとした勇ましさで、心を把持しようと思っても、到
底その目的の半ばも達成することは出来ない。

 こういうと、そりゃ無理な話だ、誰だって好んで悲観したり、怒ったり、煩悶した
りしたくはない、然し現代の世相やそれに絡まる人の様子はどうか、これが悲観せず
におられるか、煩悶せずにおられるか、まともの神経を持っている以上は、どうし
たって、そうなるのが当然の事だと、言い張る人も相当に多いと信ずる。
posted by 林田カイロプラクティック院 at 06:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする