多くいうまでもなく、修養の途上には、縷々(るる)剣山幽谷がある。まして、過
去の長い間、少しもそうした方面に、意識を向けること無しに生活していた人には、
何しろ今まで秩序のなかった生活から、新しい面目をもつ生活を行うことなので、そ
れ相当の努力を一層必要とするのがこれまた当然のことであるから、予めそれを充分
我が意念として、怠る心に鞭打つ気組みで熱心に実践を継続しなければならない。そ
うすれば必ず追々と所期の目的を達成し得ることは、これ又必至である。要はただ一
心不乱に、一旦実践に志したならば、何かの効果事実を把握するまでは、絶対に中止
しないと、堅く自己自身の心に誓うべきである。
さて、然らば、その人生至上の実際問題たる潜勢力の発現を現実化するには、一体
どんな手段と方法とを実践上の必枢条件とするか?
先ず、何を措いても、先決的に必要とすることは「日常の人生生活の方法を、人間
の本来の面目に即応して、絶対に純正化すること」である。即ちこれこそ実に犯すこ
との許されぬその基本条件なのである。分かり易くいえば、多くの人々が現在行いつ
つあるような活き方では、到底潜勢力の発現は、望み得られないのである。
それでは、人間の本来の面目に即応する絶対的純正生活法とはどんなものかという
と、曰く「心身の統一された生活法」即ちこれである。 事実! これ以外に、潜勢
力発現に関する適切な方法も、手段も、他にないといわなければならない。
ところが、この峻厳な法則と、事実の上に立脚して、現代人の日常行いつつある生
活法を検討する時、そこにおおむね心身の統一されていないという事実が発見され
る。