そもそも人間の生命は、どういう内容素をもってつくられているか? というに、
多くいうまでもなく、霊魂を中核として、精神と肉体とが、密接不離一如の状態の下
に結合されて作られている。即ち心と身とが打って一丸とされたものが、人間の命の
真の姿である。
由来、人生とは、その生命の活きている事実に対する名称である。従って、正当な
人生は、正当な活き方からのみ獲得されるということも、容易に合点の出来ることで
ある。心身の統一された活き方が、人間の本来の面目に即応した純正な生活法である
と論断するわけも、またこの点にあるのである。即ち、心身が統一されて営まれる生
活法は、人間の生命のありのままの姿である心身一如という厳粛な事実に、正しく順
応した活き方であるからである。
ところが、前に述べた現代人の多くがおこなっている生活法は、どれも精神か肉体
かの何れか一方に偏傾、偏重されている。これもまた多くいう必要もないことで、二
つのものが相結合し形成作為されたものを、ただその一方のみを重視重用して、完全
の結果が招来される道理がない。
これはいくらも簡単な例証で説明の出来ることで、たとえば一挺の楽器から微妙な
音楽を奏で出すには、楽器のことも入念に考査注意しなければならないが、同時に、
その楽手の技能ということも絶対に不可分の条件として、これまた入念に考査されな
ければならない。どれほど楽器だけを充分吟味しても、楽手の技能を無視しては、完
全な音楽が演奏されないのと同様、反対に楽手だけを吟味しても、楽器を軽視したの
では、同じく到底完全な音楽は味われない。要するに、楽手と楽器とが、一如に考え
られなければならぬ、即ち統一されなければならない。人生また然りである。