勿論、活力というものは、その人の寿命のある限りは、昼夜間断なくその生命に供
給されてはいるが、特に考えなければならないことは、睡眠時の方がその受容量を増
大して、完全に供給を受け得るのは、大脳に制止作用という特殊の作用が生ずるから
である。
即ち、活力というものは、第一に神経系統に受け入れられ、そして神経系統特有の
機能と作用とに依って、各種の方式と形態の下に肉体内の各種臓器及び各種筋肉、骨
格その他末梢細胞の末に至るまで配給され、こうして吾人の生命は確保されるのであ
る。
然し、お互い人間は、昼間特別の人でない限りは、活きるために必要な各種の仕事
や作業に対応するために、精神なり肉体を絶え間なく活動させている。従ってエネル
ギーの相当量を消耗している。極言すれば、何事もしないでいても、目覚めている以
上はある程度の活力の消耗は免れない。処が、睡眠時は全然これと相違し、心も肉体
も活動を停止する。従って消耗を行わない。そしてその時、精神作用を表現する実在
意識の活動が休止すると同時に、大脳に制止作用という特殊の作用が生ずるのであ
る。
そして、その制止作用が生ずると、大自然から各人の生命へ供給される活力を、豊
富に神経系統に受容するという可能性が、完全に具顕するに至るのである。そして昼
間のエネルギーの消耗に依って、体内に副産物として生じた乳酸その他のいわゆる疲
労物質を程よく中和し、同時に明日の生命持続に必要な活力を補てんするのである。
であるから、前後も知らずに眠るといういわゆる熟睡をすれば、完全に疲れが回復す
るというのも、この理由によるので、即ち、活力を入れる容器の受け入れ口を、思う
存分広く開いて受け入れるのと同じことになるからである。
そこで哲学的には、睡眠は人間の生命に神の力が結合する尊い時だといい、宗教的
には、神人冥合の時だというのも、またこの理由があるからに他ならない。