然し、ここに注意すべき問題は、在来の方法其の儘では、中々初心の者にはその効
果を思うように挙げ得るまでに相当の修練を要する。そのためにその目的及び理論主
張には相応に立派なものがあるが、何分にも上のような事情のため、その実行応用が
普遍的に徹底されなかったという遺憾な事実があったのである。
それを私は、だれにも行入極めて容易で、且つ奏効率百パーセントの方法に、特殊
形式を以て組み立てたのであるが、その方法を説く前に、一応在来のこの方法の行修
方式を参考のため略述することにする。
即ちこの方法は、一日の中で、適当の時を選んで静座瞑目して、たとえ現在の人生
事情がどうあろうと、即ち病が身にあろうと無かろうと、また運命が良かろうと悪か
ろうと、一切それに係わることなく、全然それと正反対の積極的事項を、自ずから意
識的に一心不乱の状態で吾が心に思念瞑想せしめよ、というのがその大要である。
そしてこうすれば、一体どういう結果が来るかというと、その思念度が強烈であれ
ばある程、言い換えると、その思念の強さの程度に比例して、心はその思念の誘導を
受容し、次第に消極状態を減退して、積極化して来るという、即ち心理現象に対する
推移過程上からの推論を基本として考案されたものなのである。
勿論これは、何の異論を挿む余地のない、立派な精神強化の自己修行法に相違ない
が、ただ実際問題として考えさせられるのは、何事かの人生事実に直面して、その心
に心配とか、煩悶とか、焦燥とかというような気持の生じている時、落ちついて適当
の時間静座瞑目、思考を渾一状態に凝念するという余裕が、精神的にも、時間的に
も、普通の人には、中々もちにくいことと思う。特に初心傾向の人では、かりにこれ
を試みるとしても、積極的事項の思考を一糸乱さず凝念しようと思えば思うほど、皮
肉にも消極的思考の方が心の中に発生して来て、雑念妄念次々と湧き、この方法の奏
功上一番大切な一心不乱という条件が、消極方面のみに傾注されてしまうという、厄
介な状態に陥るのが共通の事実なのである。