もっと分かり易くいえば、夜一旦就寝しようとふとんの中に入ったら、たとえどん
な悲しい事や、腹の立つことや、その他の気にかかることがあっても、それを断然明
日の宿題とすること、即ち今正に自分は一日の疲労を休養するため、これから睡眠を
とるのだから、精神も肉体と同様に安息をあたえなければならない、だから、当面し
ている人生の一切の事柄は、明日目が覚めてから分別考慮しようと、特に消極的に心
を陥らすような問題は悉く明日回しとして、出来る限り、明るい朗らかさと活き活き
とした勇ましさを感じ得るような、ほほ笑ましい事だけを心に連想思考せしめるので
ある。
この方法は、皮相的に考えると、一寸困難のように思うかも知れないが、試みて見
ると案外速やかに一種の習慣が助成されて、容易にその目的を達成し得ることが自覚
されるのである。というのは、夜の寝がけというものは、だれにでもその大脳に制止
作用が生ずるので、たとえ雑念妄念が発生しても、自己の心の狙いどころを、明るく
朗らかに、活き活きとして勇ましくという点に置いて思考連想を行うと比較的それに
凝念することも、極めて容易に出来るように、本来的に精神機能が作られているから
である。
その上、夜の寝がけの際は、人間の精神の暗示感受習性が、一日中最も旺盛になる
時なので、これを心理学では、ラッポウ期の状態というが、そのラッポウの旺盛であ
る夜の寝がけに、こうして、意識的に自己自身の心を持ち替えて積極的の思考連想を
行いながら眠りに入るようにすると、その積極的の思考が、期せずして、強力な暗示
として、潜在意識領に適格に受容印象され、当然観念要素は行うに従って、寧ろた
やすく積極的に更改されるのである。
だから、ただ無邪気に、明るさと朗らかさと活き活きとした勇ましさを感じること
を思考連想すれば、それでよいのである。別にこれを行うに信念を特に必要とするの
でもなく、また難しい凝念的の努力をする必要もない。寧ろ一日中あくせくと、精神
も肉体も活動させたので、せめて夜の寝がけだけでも、その心をたのしく過ごさせて
やろうという位の、平易な気持ちでこれを行えばよいのである。