実際、不平不満を常習としている人には、この感謝念というものが、頗る薄いよう
に思われる。西洋の訓(おし)えにも「感謝念の薄い人の人生には、幸福の女神はそ
の自愛の手を伸ばさない」 というのがある。これは事実、客観的に見ても、主観的
に見ても、同じことだといわなければならない。だから何事にも、先ず感謝本位で人
生に活きるならば、不平不満を感じない世界が、第一にその人の観念の世界の中から
生まれることになるから、単にそれだけでも大きい幸福である。ましてその尊い気持
ちの反映を受けて、自分の活きる人生周囲が、期せずして美化善化されるという現実
を考えたなら、これは単なる道義的のことでなく、広義に於ける人生生活法だと考定
されることと思う。
かの儒哲として蹟名のあった熊沢蕃山が詠んだ有名な和歌に「憂きことのなおこの
上に積もれかし、限りある身の力ためさん」 というのがあるが、案ずるに蕃山の心
には、他人から見て不幸だ、不運だと思われるようなことも、少しも御当人には、そ
うと感じなかったに違いない。というのは、不幸や不運を寧ろ自己錬成への感謝で考
えておられたからだといえる。
私は現在の日本を考え、単に不幸だと愚痴る人には、決して理想的の民主国家とし
ての真日本の建設などは到底覚束ないと思う。寧ろ、現下のお互い日本人は、現在の
すべてを、真日本の建設という一大事実を現実化すために、天が我等日本人に慈愛を
以て与えられた一大試練だと断定するならば、期せずして一切の事物現象が自己を研
き上げ、また自己をより高く積極的に啓発する題材となり、やがてその結果は、世界
平和に協調し得る国家社会を作り上げることが出来ると思う時、価値のない不平や愚
痴は忽ちその影を潜め、これにかわるに、限り無い感謝念の湧然たるのを意識するで
あろう。